1024バイトで超短編を書こうという遊び。
下のリストから各話に飛びます(ゥ付きは18禁です)。
ん…… 目を覚ましたら、すっかり明るくなっていた。 いつもと変わらない、僕の部屋の天井が目に入る。 いつもとは違う、大事なことを思い出す。いや、忘れてなんかいなかった。 忘れる訳も無かった。 そう、昨日の晩は、初めて式と。 式と……! 横を見ると、まだ眠っている。少しだけこっちに顔を向けていた。あんまり綺麗で、女の子らしいから、そのまま眺めていた。 不意に目を開ける。視線が合った。二度ほど瞬きして、びっくりした顔をして、いきなりうつ伏せになって布団に顔を埋める。 真っ赤になってる。 「おはよう、式」 「……うん」 「こっち、向いてよ」 「…………うん」 しばらく待たされて、やっと顔を向けてくれる。 「おはよう、幹也」 声は優しく、まだ少し寝ぼけ眼なのに壮絶に睨んで来るけど頬は赤らめたままだ。 「昨夜は……」 言いかけて、止まる。流石に何を言っていいのやら。 「なんだ?」 声が鋭くなった代わりに、眼つきは和らいだ。 返事が出来ず、苦し紛れに僕は式を抱き寄せた。 「おいっ」 式は抵抗してみせながらも、腕の中に収まってくれる。 「……素敵だったよ、幹也」 囁かれて、僕は、殺された。 |
愛しくてただ、夢中で撫でていた。 痛いのとか、わりと平気だと言うけど、だからって痛い目になんか遭わせたくない。 優しく、優しく。 ほのかに汗ばんだ式の肌は桃色に上気している。滑らかできめ細かくて、自分のと比べると人の肌の感触だと思えないほど。 掌と指先から背筋にまで流れ込んでくる快感は、気を張って耐えなきゃならないぐらい。 胸にキスしながらお腹のあたりを撫でる。 「んっ、あ……」 苦しそうにも思えてしまう、甘い吐息。 「なあ、幹也っ」 「なに?」 「おまえさ……あんっ」 ちゅっ。 細い体をした式だけど、流石に柔らかな胸の先端に唇を付ける。 「あふっ……おまえ、何かヘンな線とか見えてたりしないか?」 おかしなことを言うな、と思った。モノを殺す線が見えるのは式の方だ。 「いや、見えないけど、何のこと?」 吸い付いているのと反対側の胸に手を触れる。何故か式は、見られるより触れられることを無闇に恥ずかしがる。 「だって、幹也っていっつも、」 大きい方じゃないけど、胸の膨らみが手を押し返す快い弾力が伝わってくる。乳首をつついたら、息を詰まらせるばかりに喘ぐ。 「オレを、殺せるトコ、ばっかり……」 |
式がハンバーガーなんか食べてるのを見ると、織と出かけた時を思い出す。もっとも、初めて“織”の話を聞かされた以外、あの時のことはよく覚えてない。 あまり美味しそうではないのだけど、式がやると、ハンバーガーにかぶりつくなんてことまで行儀良く見えてしまって可笑しい。 ごくん。飲み込んで、式が口を開く。 「どうかしたか? じろじろ見て」 「いや、別に。うん、式ってこう言うもの好きじゃないよね?」 「好きじゃないけど。別に、嫌いでもないよ」 また一口、ぱくり。さっきより美味しそうに見えたのは、気のせいかな。 僕の言葉に気を使ったんだろうかと思ったけど、それは間違いなく気のせいだろうと思う。 「幹也だって、別にこんなの好きなわけじゃないだろ?」 「まあね。同じく、嫌いってことも無いけど」 ぱくり。どうやら、上品に見えるのは何故かケチャップが唇に残ったりしないかららしい。 「何が好きなんだ?」 一瞬何を訊かれたのかと思った。こんなに真っ直ぐに食事の好みを訊かれたのは、実は初めてだ。 「そうだね、式が作ってくれるものなら何でも」 う、と式は息を詰まらせかけ、慌ててコーラを飲む。 それから、呟いた。 「馬鹿」 |
「ねえ、式?」 桜の古木を見上げるベンチに、夜風に当りながら二人で腰掛けていた。 「なんだ?」 「両儀家の屋敷に桜はあるのかな、なんて思ったんだけど。そう言えば、僕はあの屋敷にはあまりちゃんと入ったことが無いね」 樹の上の月を眺めていた視線を僕の方に向け、返事をくれる。 「桜なら、あるよ」 「そうか」 あの武家屋敷みたいなところになら、桜ぐらいあっても不思議じゃない。 「剣術の道場とか、あるんだよね。僕もやる羽目になったりは、しないのかな」 剣道じゃなくて、剣術だ。真剣を使うらしくて、脚や眼のことを別にしても、出来れば御免被りたい。 「大丈夫だろ。跡取りは月初めに立会いをすることになってるけど、幹也が跡取りになるわけじゃなし」 答えながら僕の言っていることを理解したのか、そっぽを向いてしまった。 「じゃ、安心だ」 「それより、黒桐家の跡取りはお前なんだろ?」 「うーん、勘当中だからね、僕は」 ずっとそのままって訳にも行かないから近頃少し頭を悩ませている。 「どうにかしろ」 ぶっきらぼうに言うから、何故、と訊いたら、あっちを向いたままで 「オレは黒桐式の方が嬉しい」 なんて反撃を喰らわして来た。 |
式がいつも和服なのには、こだわりがあるんだと思っていた。 だけど実際のところは、今さら他のを着るのが面倒だってだけらしい。言われてみれば、和服に思い入れがあるなら上に革ジャンなんて着るわけはない。 「別に、周囲にどう思われていようと気にしてなかったしな」 今も単衣姿の式が言う。過去形になっていることに自覚があるのかどうか、判らないけど僕は嬉しく思う。最近、何を訊いてもそれなりに答えが返ってくる。 「おまえ、」 どんな格好するのが一番綺麗かな、なんて思っていたら、鋭くなった声が聞こえた。 「ん、どうかした?」 「今、オレに何か変な服着せてみようとか考えてただろ」 「まさか、思ってないよそんなこと」 返事に満足しなかったらしく、以前と変わらない昏く静謐な双眸で見据えられる。その凄絶な厳しさも昔と同じだ。だけど、こう毎日のように睨まれていたのでは慣れてしまおうというもの。 そもそも僕は式の瞳に惹かれたのだし。 「ほんとか? 顔がにやけてたぞ」 ああ、それは事実かもしれない。 「うん、変な服着せようなんてとんでもない。どんな服着たら可愛いかな、とは思ってたけどね」 黙ったまま、式は横を向いてしまった。 |
こんな言い方をすると笑ってしまうのだけど、式は女子高生だ。 今も和服で通しているし、二つ年上の同級生なんてのが興味を持たれるのは当然だしで、高校に戻った頃はうざったいことも多かったみたい。 昏睡から覚めた直後に比べたら人当りは遥かに柔らかくなって、新年度のクラスにはわりあい溶け込めているようだ。 「幹也ぐらいのものだったな、当時オレに話し掛けるのなんて」 最近では、自分から学校でのことを話してくれたりもする。 ちょっとだけ、残念に思う。つまり、高校時代、式と接触があるのが僕だけだったにせよ、親しく付き合う日々を過ごせてはいないってことを。 「式って、家から近いからってだけで高校選んだんだよね?」 「ああ。どうせ家を離れは出来ないし、学歴は無駄だから」 「そうか。別に、あそこに思い入れがあったわけじゃないんだね」 間違いなく良家のお嬢様ではあるわけで。 「でも、そういうことは別にしても、あそこにして良かったとは思ってるよ」 「ん、どうして?」 聞き返したら、言わなきゃよかった、って感じの顔をする。黙って待っていたら、長いこと躊躇ったあと、意を決したように口を開いた。 「だって、幹也にも、会えたし」 |
昼間っから橙子さんは寝てしまったけど、僕は上機嫌だった。納品が済み、支払いも即金で貰えたからだ。 「相変わらず経理とかばっかりやってるな、幹也。人形作りたかったんだろ? 本当は」 昼間っから式が遊びに来ているからでもある。 「そのはずなんだけどね。でも、橙子さんに教わったことはあるよ」 「へえ、人形のことか? 何を習ったんだ?」 「うん、人間の顔の構造についてなんだけど、例えば髪の生え際から顎までと、こめかみの間の距離が一致するとか」 言って、実際に式で測ってみることに了解を得た。 ハンカチを畳んで式の顔に当てて縦の距離を測り、次に横向きにする。 すると、式は僕の方を向いて両目を布で隠される格好になるわけで。化粧らしい化粧なんかしてないのに朱い唇に、どきっとして、覚えず悪戯心を起こしてしまった。 無防備に唇を向けている式に、僕は、つい。 ちゅっ って。 式は何をされたのか理解するのに少し時間が掛かったらしく、それから僕は猛烈に突き飛ばされた。 後に、僕が憧れた人形師に賜ったのは、こんな言葉だった。 |
片目を失ってからしばらく時が過ぎ、そろそろ、慣れた。 遠近感とかも初めよりはマシになったと思う。橙子さん曰く、遠近の判断に関して僕の脳は充分学んであるから、片目になってもプログラムの修正でそれなりに対応できるってことらしい。 少なくとも生活に困ってはいないし、式もひとまずは安心してくれたみたい。 「建築とかやることになったら問題にならないか?」 そう言う心配は今もしてくれているらしいけど。 「それはあるかも。幸か不幸か、そんな機会は今のところありそうに無いけどね」 任されているのは、相変わらず事務仕事と雑用ばっかりだ。 「どうもやっぱり陰気に見えるな、これ」 潰れた左眼を隠すために伸ばしている髪を掻き上げながら、式が言う。見詰めてくる式の眼は昔と変わらず深く澄み切っていて、だけど少しだけ痛ましげだった。 少し手を降ろして来て、両目を隠す。無論、それで僕には何も見えなくなる。式は時々こんなことをするんだけど、見ているのが辛くなるのかもしれない。 と、不意に。 ちゅっ って、唇に柔らかいものが触れた。 反応する前に式は離れてしまい、自分からそんなことしたくせに、半日、口を利いてくれなかった。 |
日曜日の午前、唐突に鮮花が僕のアパートに現れた。下手をすると式と二人でまだ寝ていることがあるような時間だったから、僕一人だったのは幸いだ。 何をしに来たのか判らなかったけど、機嫌は良いみたいだった。鮮花にしては珍しく、内容の無い会話を楽しげに続けていた。 「そろそろお昼ですけど、ご飯はどうされる予定だったんですか?」 正午近くにもなって、そんなことを言う。 「昼は、作るつもりだったけど」 「へえ。たまには妹に食べさせてあげようなんて、思いませんか?」 思わせていただく事にする。僕に作れるのなんて麺料理ぐらいのもので、冷蔵庫の材料で出来たのは簡単な和風パスタだけだった。 鮮花は料理は得意なのかな、と思って手伝いを頼んだら、思いがけず手際は良かった。 食器が一人ぶんじゃないことには気付いたみたいで、エプロンまで二枚あるのがばれなかったのは運が良い。式のを置いてあるなんて知られたら途端に平和は崩れそうだから。 「よく作られるんですか? これは」 食べ終えて、美味しかったと言ってくれる。 「まあ、時々。気に入った?」 「はい」 式が教えてくれたレシピそのまんまだってことは、伏せておく方が良いだろうね。 |
誰かが毛布を掛けてくれたのに気付いて、少しだけ意識が覚醒した。仕事場のソファだから、橙子さんしか居ないはず。さっき見た時は眼鏡を掛けていたし。 それだけ思って、また眠りに落ちかけた。 今度は誰かが頬に触れたから、目が覚めた。指先がゆっくり下がって行って、首から鎖骨の辺りまでを往復する。僕は硬直していた。 |
「この部屋の家賃って幾らぐらいなんだ?」 式がそんなことを訊いてきた。あまり意識しないけど式はお嬢様なわけで、お金のことを話題にするのは珍しい。 「ずいぶん安いんだな」 だからって金銭感覚がおかしいってこともなく、常識程度の物の値段は把握している。 「うん、お陰で助かってるよ。気になって調べたんだけどね、別になにも曰くは無いみたい」 「へえ」 返事をする式の様子が妙だ。僕の顔をじっと見てるのかと思ったら、視線は少し反れている。 「幹也に調べられなかったなんて大したもんだ」 「何のこと?」 鋭い目を僕の後に向けたまま式が言う。 「いや、てっきり出るから安いんだと思って」 「出る?」 思わず振り返ったけど、何も目立つものは無かった。 「幹也って全然感じないよな。何度も見るぜ、同じ女の幽霊をこの部屋で」 「ええっ」 まさか、そんなことで安い部屋があるなんて話にはよく聞くけど。 慌てて部屋中を見回しても、やっぱり僕には判らない。 「今も居るの?」 「居ないよ」 よほど僕が焦って見えたんだろう、式は大笑いして続けた。 「冗談だよ、そんなの一度も見てないって」 それでも、しばらく何だか落ち着かなかった。 |
金曜日の晩、思ったより帰りが遅くなってしまって、家に着いたら式が来ていた。 「ごめん、待たせた?」 「そんなには」 上着を脱いで掛けようとして、昨日着たワイシャツが綺麗にアイロンがけされているのを見つける。 「ひょっとして、やってくれたの?」 見れば、他の洗濯物も処理してあった。 「うん」 ちょっと照れながら式が言う。 「でも、この前アイロンなんて出来ないって言ってなかった?」 僕がワイシャツとかスーツとかを着るのは橙子さんの共をする時だけだから、自分ではなかなか身に付かない。生活に必要なことは一通りこなす式にしても、普段着が和服だからアイロンってものには縁遠いはずだ。 と言うか、この前スーツを着た日に実際そんな話をしたように思うんだけど。 「しないからって出来ないわけじゃないさ」 式らしい返事ではある。 「ありがとう、待たせた上にそんなことまで」 そこまで言って、式の左手に袖に隠れて二枚も絆創膏が張ってあるのを見つけた。 「どうしたの?」 「なんでもないよ」 アイロン掛けてて火傷でもしたのかと思ったけど、さっき張った感じではなかった。 もう少し問い詰めたら、白状した。 「練習したんだよ」 |
「して欲しい?」 艶かしい笑いを見せながら式が訊いてくる。僕は脚を投げ出して座っていて、式はその間にうつ伏せ。二人とも裸でベッドの上。 「うん」 ひょいと白い手を伸ばして僕の性器を握り、少し首を傾げる。 「何を?」 判って訊いている。悪戯に笑い、ゆっくり指を動かしながら。 「口で、その、フェラチオ、して」 もう一方の手で陰嚢の方を包んで、僕の方をじっとりと見て、言う。 「すけべ」 式がこんなことを言うのは、だいたい照れ隠しだ。 顔を近づけてきて、僕のものに唇を付ける。舌を出して何度か舐め、横向きに根元のあたりを咥えて、中で舌を当てて上に滑っていく。 「んっ」 抜き身の刃物みたいな式にこんなことをさせているなんて、背徳と征服の感覚にくらくらする。 大きく口を開けて先の方から含んでくれた。熱い舌と唇がぬめって絡みつく。 いやらしいことをしているのに凛としていて、いつも感動してしまう。 「幹也?」 一言だけ発して、また舌を触れる。 「なに?」 必死で返事する。 「これ、弱いだろ」 先端だけ咥えて舌を尿道のところにあて、素早く頭を上下する。 「うぁっ」 危うく、口に放ってしまうところだった。 |
「なんで人間は宇宙になんか行きたがるようになったんでしょうね?」 人工衛星の打ち上げに失敗したというニュースから、こんな話になった。 「登山と同じだろうさ」 窓際で煙草を吹かしながら、橙子さんが言う。ソファに居る式は、話は聞いているみたいだけど、いかにも興味なさげだ。 「登山?」 「こんな言葉ぐらい知っているだろう? 『そこに山があるからだ』」 「ああ、はい」 そんなもんかと思いかけて、答えになっていないのに気付く。山があったら登りたがるのは何故なんだろう? 「ふん、それこそが問いだな」 さらに訊いてみたら、こんなことを言う。 「出来そうだからやろうとするのか、出来そうに無いからやろうとするのか。考えてみろ、鳥ってものが居なかったら人はこんなに空に憬れることも無かったんだろうか?」 「だろうな」 不意に式が返事した。 「ほう、即答だな。何か思うことでもあるのか?」 「別に。そう思っただけだ」 何故か、この素っ気無い返答の前に、式は僕にだけ柔らかな表情を見せていた。 後で二人になった時、何を考えたのか教えてくれた。 「幹也が居なかったら、普通の暮らしに憬れたりなんかしなかったなって思っただけだよ」 |
退院後一週間ほど式に杖代わりになってもらって以来、一緒に歩くときは手を繋ぐことが多くなった。ただ、嫌がってはいないみたいだけど照れくさいのか、式はなかなか繋がせてくれないことがある。 「よくそれだけ黒い服ばっかり買うよな、いつもながら」 買い物に付き合ってもらった帰り道、歩き疲れて膝が少し辛い。だから、今はホントに手を借りたいんだけど、言ってしまうと過剰に心配するからそれも避けたい。 「ちょっとコーヒーでも飲んで行かない?」 だから、座ってしばらく休もうと思ったんだ。 「うん。アーネンエルベまで行くか?」 「あー、もうちょっと近くが良いな」 「そうか」 答えの前に、少しだけ間があった。 喫茶店を見つけてそっちに向かう。だけど、思ったより疲れが酷かったのか、路面の小さな段差に足を引っ掛けてしまった。 「うわっ」 「おいっ」 こんな時は頼りになる。転ばないうちに体を掴んで支えてくれた。 「大丈夫か? 脚。やばかったら早く教えてくれよ」 服の入った紙袋を僕の手から奪い、手を取ってくれる。いや、腕を組む格好だ。 「気付かなくて、悪かったけど」 いざこうなると、今度はずっと離してくれなかったりも、する。 |
床に仰向けになって式が寝ていたから、近付いていきなり腰のあたりに跨って座ってみた。 眠ってはいなかったみたいで、目を開くと呆れたように言う。 「何がしたいんだ?」 「いや。マウントポジションとか言うじゃない、こういうの。なんでも必殺の体勢だとかって」 「そりゃまあ、オレの位置に居る方が圧倒的に不利なのは確かだな。それで?」 こう平然とされると、なにやら面白くない。もちろん、別に酷いことをするつもりなんか無いにしても。 だから、両手を胸の辺りに押し付けてみる。 「おい」 声を上げつつも、相変わらず笑っている。ちょっと指を動かすと、紬の布地越しに伝わる膨らみの感触が楽しい。 「まったくっ」 式が言った途端、僕は体を前に弾き飛ばされて、結果として式の上に伸し掛かるように倒れてしまう。受け止めてくれて、なかば抱き合う格好になった。 「座る位置があれじゃ駄目だな。それに、幹也は実力が無すぎる」 僕の胸の下で式が言っている。 「そうだね。でも、結果としてこんな形になってたら駄目なんじゃないの?」 少し動いて、耳もとに口を持っていって囁く。実は式はこの辺が弱い。 「そうか? オレは好きだぞ、こういう感じは」 |
「口紅?」 僕のプレゼントの包みを開けて、式が戸惑っている。 「何でこんなもの?」 式は普段、まず化粧なんてしていない。 「橙子さんがデザインしたんだ、それ。次の春の新製品で、新色はまだ出来てないらしいんだけどね、特別に既存の色の中から好きなのを入れてくれるって言うから」 結構くっきりと紅い色だけど、式なら大丈夫だと思う。 「で、幹也がこの色を選んだのか?」 「うん。凄い色数なんでびっくりしたよ」 そうか、と芯を出し入れして眺めている。 「お前のことだから、すぐ付けてみて欲しいとか言うんだろ」 幾分凄んだ声をだしながら、顔は笑っている。 「うん、今言うところだった」 黙ったまま式は鏡に向かい、僕が眺めているのに気付いて言う。 「あっち向いてろ」 残念に思いながらも、従った。 振り返る許可はすぐに出た。唇が鮮血を含んだみたいに紅いけど、予想通り、白い肌や黒い髪と相まって人形めいた造形美だ。でも頬が少し染まっていて、それが生身の女の子なのを主張している。 「良いね、凄く綺麗だよ」 僕を睨みながら、頬がもっと朱くなる。 「ちょっとだけ返してやるよ」 もう少し言葉をかけるつもりが、出来なくなった。 |
式がベッドに仰向けになって、両手で握ったナイフを凝視していた。僕が部屋に入ったのに気付かないぐらいだったから、使うことを予期しているのかと不安になる。 「式?」 それで声をかけた。 「幹也っ?」 酷く慌てている。飛び起きて、ナイフを体の後ろに隠す。 「どうしたの? また橙子さんに何か頼まれた?」 少なくなったけど、今でも式が荒事に関わることはあるんだ。 「何でもないよ」 目を反らして言う。 「いっつも、何も言ってくれないから心配なんだ」 「なんでもないって」 「じゃあ、どうしてあんなにナイフを見つめてたの?」 俯いて沈黙する。息をひとつ吐くと、ナイフを僕に渡す。 「綺麗だろ?」 見るように促しながら言う。色合いの違う金属がマーブル状の模様を作っていて、刀身には百合が彫ってある。金象眼で模様がひとつ、夜光貝飾りの柄の傍にある。 「そうだね。刃の形とかも」 「それだけだよ。前から欲しかったんだ」 「え?」 問い返しながら、照れ笑いの兆しを顔に見つけて合点がいく。 「そうか、手に入れて喜んでたのか」 思わず僕も笑った。 「返せ」 正解ってわけだね。 「返せって」 照れ笑いがはっきりと浮かんだ。 |
式と二人で喫茶店に居る。意外にも式はこの店の馴染みらしく、ウエイトレスの人と会釈を交わしていた。 「式がケーキ食べるなんてイメージじゃないな」 「普通、若い女は甘いものが好きなんじゃないのか?」 間違っちゃいないと思うけど、式には似合わない感じだった。 「実際、以前は食べなかったけど」 話していたら、ウエイトレスさんが来て言う。 「申し訳ありません、ただいまガトーショコラの方が売り切れておりまして。30分ほどで次のが出来るのですが」 式に意向を尋ねたら、待つと言う。 「じゃあ、先に紅茶だけ持って来て貰えます?」 半時間、堂々と座っていられるというのも悪くないし。 「よっぽど気に入ってるんだね」 「まあな」 ちょっと照れているみたいで、そんな、世間的な女の子らしさを式に見出すのは変に嬉しい。 「変な縁だよな、幹也とも」 「ん、なに?」 「いや、別に」 確かに変な縁ではある。殺されかかったりまでして。 「あの頃から相当イカレてたんだろうね、式に」 こんなことを言っても怒らないどころか、 「オレもなんだろうな」 なんて。 それから、他愛も無いことを話して過ごした。 ガトーショコラを待ちながら。 |
待ち合わせた式は、仄かに良い匂いがした。 「あれ、香水か何か付けてる?」 「うん」 少し躊躇って、答えてくれる。 「へえ。なんか、良いね」 「やめろって、こんなところで」 首に顔を近付けたら押し返された。 確かに、人目を惹いてしまっている。和服の式はやっぱり目立つんだ。最近じゃ、ちょっと有名になってしまっているらしくて、しばしば一緒にいる僕まで顔を覚えられている気配がある。 「何をにやにやしてるんだ?」 「うん、こんなところじゃなかったらOKなのかなって思って」 こんなことを言ったら、例によって凄い目で睨まれた。 「良いぜ? 幹也の部屋とかなら」 でも、こんな思わぬ反撃が来て、僕が息を飲む羽目になる。式が悪戯っぽい笑いを浮かべていて、してやったりという風情だ。仕方なく、黙って手を取って歩き出す。 「でも、なんで急に香水なんて使うようになったの?」 「急じゃないよ、前から時々つけてた」 知らなかった。ひょっとして、僕が気付かなくて不機嫌にしたこととかあったのかな。 肩を抱き寄せて、もう一回確かめてみる。 「だから、やめろって」 やっぱり周囲の人に見られている。 でも、この香りは僕が独り占め。 |