Stand By Me, Daring


 

◆4

「どうするつもりなんですか? あなたは」
 シエルは、黒衣の少女に問い掛ける。
 使い魔であるというだけの理由で、レンをどうにかしようという意志はない。しかし、ほとんど悪魔に近い存在を単純に放置してはおけない。それがシエルにとってのレン。
「…………」
 常と変わらず、レンは沈黙するだけ。シエルの自分についての考えなら、概ね知っている。わざわざ敵対はせずとも、特段に親しくもない。
 しかしシエルは、埋葬機関の七位としてではなく、単純に一人の知己として向き合っていた。
 代行者と魔物であってさえ、通わせる感情は皆無ではない。
「いけませんよ?間違っても、後を追ったりしちゃ」
 シエルの言葉に、レンは驚いた顔を上げる。言葉は無いが、表情なら隠そうともしていない。
「やっぱり、そんなこと考えていたのですか?」
 やはり言葉は無く、僅かに恥らうように、目を逸らす。
「あまりに平然としてましたから、おかしいと思ったんですよ。そんな馬鹿なことはしちゃいけません」
 再び上げたレンの顔に、今度は怖れと寂寥が浮かんでいる。
「主に忠実なのも良いですが、流石にそれは喜ばないでしょう。それに……」
 シエルにも、己に整理をつける時間は必要だった。
「誰か一人でもそうしてしまったら、他の人まで真似をしてしまいかねません。一番やってしまいそうな一人があなたですから。釘を刺しておかないと」
 じっと、それでも口を開くことなく、レンはシエルの顔を見る。そこに何を読み取ったのか、小さな手を差し出してシエルの手を掴む。
 そのまま両手で抱きしめて、かすかに笑う。
 大丈夫。
 その解釈が正しいのかどうか、シエルには判らない。ただ、強い肯定だけは、確かに伝わって来た。

 ――――冬。

 朝寝は中々許して貰えない。
 朝酒の趣味は無い。もとより志貴はあまり飲む方ではない。
 朝湯も良いとは思うのだが、実践してはいない。そうしたいと言えば準備はしてくれるだろうけど、わざわざ翡翠あたりの手を煩わせてまでやりたいことでもなかった。
 だから、夜明け前の微かに明るい空を温かい湯の中から眺めるなんて、珍しい経験だった。
 雪深い露天の温泉で、さっきまで暗闇に浮かぶ白い影だった周囲の雪景色が、少しずつ紺色に浮かび上がって来ている。一方の空が静かに明るみを増して行き、東を知らせている。水音を抑えれば、残るのは沈黙だけ。
 天地の間に、一人になった気がする。ふと、ずっと昔そんな思いで見上げていた青空を心に描いた。
「あ、志貴、そこ?」
 そしていきなり破られた静寂。
「アルクェイドッ?」
 慌てて声の元を探せば、もう手の届くところに居る。淡い光を浴びながら、バスタオルを巻いただけのアルクェイドが屈み込んで、志貴の顔を覗き込んでいた。
「お前、ここ男湯だぞ?」
 今は他に誰も入っていないし、来そうにないのだが、だから問題ないってもんでもない。
「大丈夫、入り口は隠して来たから」
「隠した?」
「うん、だから誰も入って来れないから。良いでしょ?」
 良くはない。また何か突拍子もないことをやってそうだ。心配になって見に行こうとしたのだが、妨害される。その前にアルクェイドが湯に入ってしまったのだ。
「こらこら、タオルを湯に入れちゃ駄目だ」
 体に巻かれたバスタオルを外そうとする。
「えー、志貴のえっちー」
「何だ、いきなり?」
 きゃーきゃーとはしゃぎながらも、アルクェイドは大人しくタオルを剥がれるに任せる。体が湯の中で一回転し、押さえ付けられていたバストが解放の喜びに踊っている。
「ん、だってテレビとかだと女の人はこうやって入ってるじゃない? なのに取り上げるからよ」
 驚くことではないが、タオルの下には裸体しか無かった。湯は透明で視線を遮らないが、素肌を鑑賞するにはまだ暗すぎた。
「ああ言うのは、裸を見せられないからやってるんだよ」
「ふーん、じゃあ志貴になら見せられるし、要らないかな?」
 ずれた理解だが、追求しない。自分になら裸を見せられるなんて平然と口にするから、今更ながらアルクェイドとの仲を意識してしまった。実のところ昨夜も十分に鑑賞した素肌を思い描いてしまい、でもやっぱり見たいと思う。
 湯の中でアルクェイドは志貴の手を探し、掴む。その感触に夢想から醒め、半ば照れ隠しに志貴は恋人に叱りつけた。
「何でこっちに来たんだ、アルクェイド」
「えー、だって一人で入っててもつまらないし……」
「いや、だからってなあ」
 激しい調子ではなかったが、良くないことをしている自覚はあったのだろう、アルクェイドもしおらしい態度を見せる。
「だいたい……」
 まだ言おうとしたことはあったのだが、口籠もった。アルクェイドが握っていた腕を胸に抱き、その柔らかな弾力に志貴の叱責は腰砕け。
 気付いたアルクェイドは余計に志貴の手で膨らみを押し潰す仕草を繰り返す。
「ごめんなさい」
 反省の言葉は口にしながら
「やめろって」
「うふふ、いっつもあんなに色々するくせに、つんつんサワサワなでなでポヨンポヨンくちゅくちゅムニムニぷるぷるペロペロちゅーちゅークニュクニュ……」
 耳に口を寄せて囁かれると、全くもって嘘ではないだけ参ってしまう。擬音の一つ一つに自分のしていそうな仕草を当てはめられる気がして、改めて言い立てられると世を儚んでしまいそうだ。
「だから、やめろって」
 繰り返しながら、ようやく志貴は腕を取り返す。
「そんなに駄目なんだったら今日はもう、おっぱい触るの無しね?」
「いや、それとこれとは話が別だ」
 今度は志貴から手を出し、胸に手を触れた。
「あんっ」
「おまえが言う通り、つんつんサワサワなでなでポヨンポヨンくちゅくちゅムニムニぷるぷるペロペロちゅーちゅークニュクニュ……ってしてやるから覚悟しろ」
「あはは、えっちー」
 湯に浸かっていてもふやけた様子もなく、張りのある柔肉は心弾む手触り。また、きゃーきゃーと言いながら、アルクェイドは志貴に身を任せている。優しい愛撫をしようとしても、触り心地が良すぎて冷静じゃ居られない。ついつい、力が入りすぎる。
「んっ」
 遠慮がちにアルクェイドが訴えた痛みに我に返るも、長くは保たずにやっぱり夢中になって弄り倒してしまう。
「ぁん……」
 そんな志貴の手が、アルクェイドは好きだった。
「なんか、ぬるぬるしてるなあ、お湯にしては」
「志貴だって……」
 体中、くすぐったいと文句を言っても恥ずかしがっても隅々まで触りまくるのを止めない、そのくせ触って欲しいところには意地悪して焦らし、ねだらないと可愛がってくれない、そんな志貴の手が好きだった。
「うふふ、だーめっ」
 お返しに、ねだらないと触らせてあげないのも好きだったのだが。
「そういうことすると、もう胸でも口でもシテあげないっ」
「う、それは……」
「これから、ずーっと胸で挟むのもペロペロもシテあげないっ」
 思わぬ反撃にうろたえ、キスして間を持たせようと顔を上げた志貴は、東の空の明るみを目にする。
 もう、日の出が近い。
 今のいちゃいちゃの現場を、いや、それ以上の痴態を朝日に覗かれていたみたいな気がして、二人とも少し盛りを鎮めた。
 遥かに望む黒い地平線の上に茜色の空があり、染め上げられた千切れ雲が飾りを添えている。一点だけが金色に輝き始めている。朝日など毎日昇っているものだが、志貴には今朝は特別に思えた。きっと、こんな瞬間を目をすることが少ないからではなく、ただアルクェイドが隣に居るから。
「朝焼けだね」
「そうだな」
 こんな対話も、体をくっつけたまま。交わす言葉に意味はない。同じものを見ていると、確かめ合うことだけ。
 くわっ、とばかりに光が地平に溢れた。目の眩んだ志貴が顔をそむけたら、アルクェイドの横顔が黄金に染まっている。
「……平気で夜明けを眺められるんだよな、おまえ。吸血鬼なのに」
「そうだけど、強力な死徒なら日光で滅びたりはしないわよ? この前の映画だと一瞬で灰になってたけど、ああは行かないし」
 ちょっと外れた返事が、アルクェイドらしくて可笑しくなる。別段に、どんな教えに対する信仰心も持ってない志貴でさえ黎明の光の中で厳かな思いがしていたのだが、アルクェイドの姿の前には霞んでしまう気がした。
 暁の女神が嫉妬して怒ってたりしないかな、なんて柄にも無いことを志貴は思う。輝きの中に煌いて消えてしまいそうで、体を抱き寄せた。その感触に、安堵した。しっかり、掴んでいようと思った。
 そして遊んでいる方の手を、しっかりと握り合う。
 太陽は完全に姿を現し、空の赤味は消え始める。さっきの不安は、赤色が血を連想させたのかと志貴は思い当たる。
 どういう結末なのかは判らないけど、いつか、失われるのだから。
「アルクェイド?」
「何? 志貴」
 用も無く、呼びたくて呼んだだけ。仕方なく、取り繕う。
「いや、なんだ。これからどうしようか?」
 朝の女神を歯噛みさせるに違いない笑顔で、真祖の姫は答える。
「そうねえ、何して遊ぼうか?」
 今度は志貴から抱き寄せて、唇を重ねた。つい熱くなって、舌までたっぷり絡める。この至福の前には、女神の唇だって何ほどのものか。ただ口付けだけを楽しむように、抱き締め合った。
「んふんっ」
 息苦しくなって体を離した頃には、すっかり朝の風景になっていた。志貴に血を思わせた赤い光も消えていた。
 いつか無くすのなんてあたり前で、そんなの憂いるようなことじゃない。いつ無くすのかなんて、考えるだけ詮無いこと。いつからか二人は、口にすることもなく、同じ思考を共有していた。
 一番、傍に居て欲しい人が、傍にいてくれる。文句なんて、あるはずもなかった。

 

続く→

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