Stand By Me, Daring


◆2

「姉さん――」
 声を掛けた翡翠への返事に、琥珀は人差し指を立てて唇に当てた。翡翠が反応良く口を閉じると、琥珀は隣室を指し示す。琥珀も秋葉を呼びに来たのだったが、半開きだった扉から背中を見て、声を掛けられなくなったのだ。
 既に半時も、秋葉が窓から外に顔を向けている。時折、肩を震わせていた。
「秋葉様も、誰よりもお辛いでしょうに」
 琥珀は囁く。
「志貴様のことですからね……」
「ええ。なのに、遠野家の当主としては、あまり弱いところは見せられませんし」
 まだしも、自分を置いていくなんて、と不機嫌だった間ならば心配せずに済んだのだが。
 しかし、声を潜める二人も決して穏やかではない。琥珀は微笑を浮かべているが、昔のような張り付いた仮面ではなく、向き合う相手に心配をかけまいとする意思の発露だ。
 そんな姉の想いを翡翠もまた十分に理解し、それ以上に、共有していた。志貴に対する想いならば、姉とも秋葉とも同じだったから。
「翡翠ちゃんは、大丈夫?」
 問いかけに、翡翠は真っ直ぐに応える。
「わたしは、志貴様には精一杯、一番傍でお仕えしてきましたから」
 含羞に頬を染めた顔を、伏せた。
 一番傍で仕えて来たから、どうなのか。翡翠自身それは言葉にできず、琥珀は、そんな妹を抱きしめる。
「悪いわね、待たせてしまったみたいで」
 そのせいで秋葉の接近に気付けなかったのだが、咎められることもなかった。
 傷を舐め合うことまでは、したくない。だが、互いの支えになるぐらいまでなら自分を許しても良いだろう。
 束の間の沈黙のうちに、三人は想いを交わした。
「そろそろ、行かなければね」
「はい。では……」

 ――――夏。

 金ピカのビキニなんて身につけていても、微塵も安っぽくなかった。いや、たとえ本物の金だったとしても、張り合うには荷が勝ちすぎている。胸と腰を覆う金色の布地に比して、真夏の焼け付く日差しを浴びながら尚、アルクェイドの肢体は白い。それでいて、どうかすると水着より遙かに黄金を思わせた。
 砂浜を歩けば、男女を問わず目線を惹き付ける。声を掛けようとする者あまた、しかし、気圧されて実行できない。そんな調子だったから、連れだって歩き始めた志貴は、あっという間に突き刺さる視線でハリネズミだ。
「アルクェイド、もうちょっと人の少ないところに行かないか?」
「ん? 良いけど」
 当の歩く視線誘導装置には、少しもその自覚がないのだ。
 広大なビーチには幸い人影のないエリアもあり、ようやく志貴は、男どもの殺意にも近い羨望から逃れる。広げたマットに、二人して腰を下ろした。
 砂浜は白く、南国の海も空も目が眩むほど青い。青空って言葉の本当の意味を今まで知らなかったとさえ二人は思った。
「それで、志貴?」
 一通り海を眺めた頃、アルクェイドに話し掛けられて目を向ければ、これまた眼福。
 裸体だって隅々まで繰り返し見ているのに、水着姿のアルクェイドが眩しくてならない。柔らかい膨らみや引き締まったくびれ、目に映しているだけで男として無上の喜びを感じてしまう。
「志貴ってば、こんな人の居ないところに連れて来てどうするつもり?」
 身を乗り出してくるから、窮屈なビキニから飛び出したがっているバストの深い谷間を上から覗き込んでしまう。
「いや、どうするつもりって、別に何のつもりも無いぞ」
 ごくん、と唾を飲み、目を反らしながら返事する。
「えー、じゃあさっきのトコに居ても良かったじゃない?」
「あんなに見られてちゃ適わないよ」
「志貴だって見るじゃない」
 実際、刺激が強すぎて一所に落ち着いては居られないのだが、アルクェイドの躰から目を離すなんてできなかった。あんまり胸や腰やを見てると、自分も水着な志貴には困ったことになってしまう。だけど腕とかだって美味しそうだし、指なんかだとその動きを思い出してしまうし。
 いちばん穏やかに見ていられるのは顔だと判ったのだが、幸せそうに姫君に微笑まれたら、やっぱり照れくさくて耐えられない。それでも、こんなに青い海も空も、もはやアルクェイドほど魅惑的ではない。食虫植物の蜜に引き寄せられたみたいに、逃れられない。
「志貴、暑くない?」
「ん、いや……」
 気温こそ高く、日差しは強いが、南国の海辺は爽快。
「でも、顔、真っ赤よ?」
「それは……」
 答える間も無しに、アルクェイドは志貴の額に触れた。真祖の手は少し冷たくて、だけど肌の触れ合いに志貴は余計に熱くなる。眺めているばかりで、手を伸ばせば届くってことをほとんど忘れていた。
 真剣に心配する様子のアルクェイドに、観念して志貴は白状する。お前のビキニのせいだと。
「ええ? でも志貴、わたしの裸だってしょっちゅう見てるじゃない?」
 見てるどころか、肌触りや温もりはおろか、たいていのトコロは味だって知ってる。それでも、にこやかに面と向かって言われると恥ずかしくて悶える。
「いや、お日様の下ってのがな……」
 月の姫は、太陽にも愛されている。
 それぐらい肌が煌めいていて、シーツに横たわる裸体以上だ。
「それに、幾ら見たって、飽きるわけじゃなし」
「そういうもの?」
「そうだぞ、千年見てたって飽きるものか。それともアルクェイド、俺の顔は見飽きたか?」
 え? という一瞬の間の後、勢い込んで、アルクェイドは志貴に抱き付く。
「そんなことないっ」
「ちょっ」
 額に触れられただけで鼓動を速くしていたのに、こんなに肌を触れ合わせては正気じゃいられない。男の生理現象をどうごまかしたものかと慌てる。
「まあその、なんだっ」
「なに?」
 押し付けられていた柔らかい一組の凶器が離れるところまでアルクェイドを押し剥がし、告げた。
「良かったよ、見飽きたって言われたらどうしようかと思った」
「えー、わたしも千年だって見飽きないよ?」
 せっかくの志貴の努力を無にして、再び絡み付く。
「千年か……」
 先に口にしたのは自分だったが、言われると、思わずにいられない。
 アルクェイドの生まれたのが千年にも近い昔であることは、志貴も良く知っている。真に生きた時間は遙かに短く、自分と出会うまでは単なる殺戮の人形だったことも。人形のままならあと千年だって生きたかも知れないこと、自分と関わってアルクェイドの生が狂ったこともまた。
 人とは時間が違いすぎる。まして、人生の長い方ではないだろうと承知している志貴自身と比べては。
 しかし、そんな想いも、今触れ合っている恋人の温もりに溶けた。
「それで、志貴。別にすることは決めてないのね?」
「ああ、泳ぎに海にはいるのも良いけど」
「じゃあ、それより、これを塗って?」
 これ、と示されたのはガラス壜。見るからにサンオイルだ。
 塗るというと、こうオイルを手に取ってはアルクェイドの肌を撫で回し……。考えただけで血が熱くなり、志貴はその先の想像を止める。
 拙い。人目こそ無いけど、良くない。
「別にアルクェイド、そんなの塗っても関係ないだろ?」
 そもそも吸血鬼なのだ、日光は避けるべきもののはず。何かと規格外であるアルクェイドならば浴びた途端に燃え上がって灰になるなんてことはないが、それでも不快だとは言っていた。
「うん、でも海に来たらこういうことするものでしょ?」
「いやまあ、定番と言えば定番だけど」
「なら良いじゃない。ほら」
 ひょいと差し出されて受け取ってしまい、それ以上拒む間合いを失う。しかし、妙に気恥ずかしいのと、自分を偽らない体の一部分の問題こそあれ、ほんとなら是非とも塗らせて頂きたいのだった。
 周囲にまだ人影のないことを確かめて、覚悟を決める。
「で、どこに塗るんだ?」
「んー、志貴の塗りたいところで良いよ?」
 それは、志貴が触りたいところって意味になってしまう。悪戯なアルクェイドの笑いも、それが意図だと告げていた。
「いや、お腹とかなら自分で塗れるだろ?」
「塗っても関係ないって言ったのは志貴じゃない」
「んん?」
「だから、塗ってもあんまり意味はないんだから、志貴が塗ってくれることだけが大事なの」
 つまりは、肌の触れ合いを求めているだけ。それを理解して、志貴はますます頬が熱くなる。
 まったく、愛し合おうって時ならアルクェイドのどこだって触れるのに、なんで今はこんなに照れるんだろう。
「どこでも良いんだな?」
「うん、志貴の好きなところ」
 任意の場所なのか嗜好する場所なのか。一瞬だけ迷った後、志貴はサンオイルを手に垂らした。
「じゃ、ここ」
「きゃっ?」
 誘ったのはアルクェイドなのに、あまりに予想外の部位にいきなり触れられて、悲鳴混じりに嬌声を発した。
「うふふ」
 ぬるぬると志貴の指は動き回り、くすぐるように凹凸を撫でていく。金色の毛の生え際から中心に向かって、あるいは大きく輪を描くように。
 悪戯っぽい指先の細かな動きにあわせるように、アルクェイドも小さく蠢く。
「んっ」
 奇襲成功と笑う志貴に、自分も可笑しく思いながらも、目を閉じたアルクェイドは切なげな吐息を漏らしてしまう。
 やがて、志貴の指はサンオイル以外のもので湿った桃色の裂け目に達する。焦らすように、その魅惑的な唇をひとしきり撫で、するりとアルクェイドの中に入り込む。その指を濡れた肉が捕らえ、吸い付いて離さない。
 志貴は、舌を絡め合う気分で指を使い、そのすぐ上の突起を指先で転がすように弄んだ。
 そのまま志貴の指の刺激に甘んじて身を任せていたアルクェイドだが、やがて耐えきれなくなったのか、両手を捕まえて訴える。
「もう、何でこんな?」
 問い糾すようでいて、アルクェイドも文句があるって調子ではない。単純に、まるで予想外だったのだ。
「どこでも良いって言っただろ? アルクェイド」
「言ったけど」
 確かに言ったが、恋人にサンオイル塗りを頼まれて最初にこんなトコロに手を付ける男もまず居るまい。
「やっぱり、アルクェイドを思い出した時には一番見たいと思うところだからさ。実際、何かとそのために苦労もして来たわけだし」
「そうなの?」
「そうだぞ。なんだかんだ言っても、世界で一番見ていたい」
 言ってしまって頬が熱くなり、間が持たなくて志貴は再びオイルを手に取る。意味もなく自分の腕になど塗ってしまった後、ビキニの上の平らなお腹に着地し、脇に滑らせてもぞもぞと指先を動かす。
「あははっ、こちょばくするの無しぃっ!」
「文句が多いぞ、アルクェイド」
 身を捩って逃れようとするアルクェイドに志貴は馬乗りになり、両手で散々に脇腹をコチョコチョしてやる。
「うふふふふっ、だめっ」
 手を捕まえようにもオイルで滑って果たせず、体重を載せられて起きあがりもできない。腋の下にまで攻め入られて、どうにも防げない。
 悶えて暴れるものだから、並んだ二つの峻峰が激しく揺れて、志貴には実に絶景だった。
「きゃはははっ、降参、降参っ」
 くすぐったい思いをたっぷりと堪能させられて、やっと解放される。
「どこでも良いって言ったわりには文句ばっかりじゃないか」
「変なトコばっかり塗るんだからっ」
 怒ってはいても笑みもまた溢れさせながら、アルクェイドはまだ自分のお腹に跨っている志貴の顔を見る。
 気付いた志貴が目を合わせると、束の間見つめ合った後、アルクェイドは口を開いた。
「うん、わたしも何より志貴の顔を見ていたいな」
 塗られたオイルにますます艶やかな美貌を、綻ばせて。

 

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