Stand By Me, Daring


◆1

 罪作りだったとは、言えるだろう。
 決して、上っ面の事情しか見ていない者が言うような浮気者ではなく、女誑しでもない。むしろ、思い込んだ相手に、ひたすらに一途だった。そのせいで他の女に冷たかったわけでもないのは人柄だろうが、どうにも心に住む一人の女が大き過ぎた。触れ合った他の誰も、その優しさに触れながら、己の居場所でないことを思い知らされるのだ。
 そんな遠野志貴は、アルクェイドを愛していた。
 強くは無い命に不平を漏らすこともなく、死に近しい体という重荷を何の言い訳にすることもなく。

 ――――春。

 全山を埋め尽くすほどに咲き誇った桜の中に、志貴とアルクェイドが腰を下ろしていた。
 二人並んで、志貴の手には朱い杯。決してアルコールに強いわけではなく、飲んでいるのは主に、のどかな春の息吹。清酒の液面には、はらはらと舞い落ちた桜色の花弁が一つ二つ。
「凄い数だねえ」
 ここに座るまでにも幾度と無く繰り返してきたのだが、またアルクェイドが言った。
 晴れ渡った昼下がり、春霞も無く抜ける青空の下で、物狂おしいほどに咲いている。志貴はその光景に、舐めるばかりの杯の中身よりも遙かに酔わされていた。
 今、たった二人で眺望を独占していることは確か。そして、隣に座る愛しい女と志貴とは互いを独占している。
「なんでこの国の人って、こんなに桜が好きなの?」
 染井吉野は、自生する品種ではない。そこまで考えてはいなかったが、この桜の樹海が全て人の植えたものなのだとは志貴に教えられていた。
「綺麗だと思わない訳じゃないだろ? アルクェイドも」
 本当に花に酔ったか、言葉を紡いで動く淡い色の唇が無性に艶めかしくて、見惚れる。
「うん、綺麗だけど、でも何だか特別扱いじゃない? 桜って」
「そうだな」
 くいっ、と。ようやく杯を空け、どう話したものかと志貴は考える。そして思い出したのは、数多い桜にまつわる伝承の中でも特に妖しいもの。
「桜の樹の下には死体が埋まっている、なんて云ってな」
「したい? したいって、人の死体?」
「そう。読んだこと無いけど、なんかそれで有名な小説もあるし」
「じゃあ、この山の桜の下にみんな死体があるんだ?」
 びっくりしたみたいに、きょろきょろとアルクェイドはあたりを見渡す。
 真に受けた様子が可笑しくて、志貴は続けた。
「根本の死体のお陰であんなに艶やかに咲くんだとか、桜は血や魂を吸う樹だとか、そんな話には事欠かないな」
「血を吸う樹って、そのせいで死徒扱いされている樹とかもあるけど、そんな類? 日本にも居るんだ?」
 いきなり話が物騒で、放っておくと樹を掘り返して探しかねない調子。
「待て待て、俗にそんなこと言うってだけだっ」
 実際に立ち上がりかけているから、志貴は慌てて止めた。
「でも、人が死んでお墓を作る代わりに、死体を埋めて桜の苗木を植えたっていう話はあるな」
「もしそうだったら、何人この山に埋まってるのかな?」
「間違っても掘ってみたりとかは駄目だぞ」
「えー、駄目? ちょっと一本だけだから……」
「駄目だって」
 志貴に睨まれて、アルクェイドは引き下がる。
 短い沈黙の間を風が吹き抜けて、杯に新しく花びらが落ちた。アルクェイドに手渡し、なみなみと注いでやる。あるだけ飲んだりしたら志貴は歩けなくなりそうだし、アルクェイドは幾ら飲んだって平気なのだ。
「でも志貴、桜の樹の下に死体が埋まってるから日本人に人気があるわけじゃないでしょ?」
「そうだな。でも、日本人が桜を見る時って、伝統的には死を意識してるのに間違いはないんだ。心の片隅に縮こまっている程度でもね」
 華々しく咲き誇っては、潔く散る。それを愛したなんて、本当なのかどうか。理想化された侍身分の人はともかく、庶民までそうなのか。しかし、そう言われているのは確かだ。そんな話を、志貴は聞かせてやる。
「判らないな、あっさり死んじゃうのが良いなんて。ずっと咲いてたら良いのに」
 人間は、すぐに死に過ぎる。目の前の愛しい青年の命がそう強くないことは、アルクェイドも十分に知っていた。生きた時間こそ長いが、真祖の姫は、別れの経験には乏しい。
「不老不死は世界中で何千年も昔から求められて来たけど、永遠に生きるなんてできないから」
 志貴は、アルクェイドの顔を見詰めた。
「限られているからこそ輝くんだって、思い込もうとしてるのかもしれないな」
「そっか……」
 永遠を求めるのは人ばかりではない。しかし、真に成し遂げた者が事実上ゼロに等しいのは、人でない存在にとっても同じことだった。
「だけどな、限られてる方が良いのかどうかは判らないけど、限られてるからって輝きが劣る訳じゃないだろ?」
 不意を打たれたように、吸血鬼の祖は人間の顔を見詰め返す。本来なら生きる時間の違う二人、それでも、今お互いの眼に認めたのは、永遠には共に居られないことへの悲しみではなかった。
 また二人、同じ方に向き直って、命を輝かせる桜の花を眺める。共に呼吸する春の大気は芳しく、うららかな日差しは眠気を誘う。二人で過ごす時間は貴重だったが、慌ただしく何か成さなければならいわけではない。
 ただ共に居ることだけを味わう、それもまた代え難い贅沢だろう。
 ひらひらと、花びらが舞う。風が強くなったらしく、舞い手の数が増えている。
 ふあ、と欠伸をしたのはどちらが先だったか。
「志貴、寝る?」
「そうだな、アルクェイドを枕にして」
「わたしを枕って……きゃ?」
 いきなりスカートを捲り上げられて、思わず悲鳴。意に介さず、志貴は太腿に手を触れる。
「あん、何?」
 そのまま、志貴はアルクェイドの脚に頭を載せた。
「ん、膝枕より腿枕が良いなって」
 ストッキング越しの肌の温もりを頬と指に楽しみながら、眼を瞑ってしまう。
「もう、それじゃわたしも寝るから志貴も太腿貸して頂戴」
 横向きに寝る志貴の脚を引っ張り、向かい合って互いの腿を枕にする。志貴にしてみれば、いっそう柔らかいアルクェイドの内腿に触れる格好になる。
 あまり落ち着いて眠れる姿勢でもなかったが、心は穏やかだった。
 山一面の桜を独占しながら最愛の人と触れ合ったままなんて、こんな豪奢な昼寝も無いと、志貴は思う。
「そういえば……」
 何か言いかけたのに、アルクェイドが言葉を濁す。
「ん、どうした?」
「ええと、何か、花の下で春に死にたいとかなんとか言うのがなかったかな、って」
 まだ、ためらう調子だった。
「ああ、確か……願わくは花の下にて春死なん、とかそんなのか。よく知ってるな」
「うん。……これ詠った人、その通りに死んじゃったんでしょ?」
 これで志貴は、アルクェイドが言い淀んだわけを察する。趣はあるけど、予言通りに死んだみたいな話、不吉に思っても不思議はない。まさに桜の下に居るとあってはなおさらだ。
「そうだな。でも、その歌を作ってからずっと後だぞ? だいぶん爺さんになって死んだはずだ」
「あれ、そうなんだ?」
 互いに臍の下を見ているような姿勢だが、声の違いだけで、アルクェイドのほっとした表情が志貴には半ば目に見えた。
「そういえばその歌の作者、死体から人造人間を作ったなんて話もあったな」
「え、魔術師なの? 人造人間って、人型の使い魔とか?」
「いや、だから、単なる伝説だって。それに、あまり上手く行かなかったって話だ」
「ふーん? よく判らないけど、よっぽど桜って色々あるのね」
 ほろほろと、二人の体にも花びらが降りて行く。
 黙っていると、そのまま眠りに誘われて行く。
「ねえ、志貴?」
「ん……?」
 眠り落ちる僅かに手前で、また声が届いた。
「この体勢って、アレみたいだね?」
「ん、アレ?」
 眠気で霞のかかった頭のまま、応える。
「そう、ええと――――シックスナイン?」
「しっくす――――って、いや、アルクェイド?」
 青天の霹靂に、霞が吹き飛ぶ。
「あれ? シックスナインじゃなかった?」
 無邪気な問い返しを聞きながら、確かにそんな状態だとか志貴もまた思ってしまった。
「いや、あってるけど、なんでそんないきなり」
「ふふ、えいっ」
 志貴の顔は、不意に柔らかく心地よい温もりに挟まれる。アルクェイドに内腿で挟まれただけのことだが、こうなると、恋人の最も秘めやかな部分が目前に迫る。
「ふふふ、誰もこんな所に来ないよ、志貴?」
「いや、だから、お前なあ?」
 太腿に頭を挟んだまま、ころんと一緒に転がってアルクェイドは志貴の上にのし掛かる。完全に捲れ上がったスカートの下に、丸っこいお尻がある。
 触り心地の良い脚の間から、青空が遠く見えていた。

 

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2007年の夏コミで頒布されたアルクェイド&志貴SS本 月語千一夜 二話め に寄稿したSSです。
さほど長いわけでもないのですが、短期連載と言う格好で。

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