体をお湯に浸して、ゆっくりと息をする。直接肌で暖かみを感じることは出来ないけど、曖昧な幸福感と共に、体が温もって行くのは判る。
 ずっと昔、かあさまと一緒にお風呂に入って、肩まで浸かって百数えるように教えられたことの記憶。その感覚を、わたしは今もどうにか無くさずに抱いている。
 どうしてまた、こんなところで風呂になど入っていることになったのかを、ゆっくりと反芻する。

疼愛痛心

Love is the pain, but not the bane.

 結局、わたしの心があの事件とちゃんと向き合おうとするまでこれだけの時間が掛かったということなのだろう。今になって、わたしは当時のことを夢に見るようになった。
 そしてその日から、時折不意に痛みを覚えることがあるようになった。いつもの先生に診てはもらったけれど、何処にも明らかな異常は無いらしくて、ただ疲労が溜まっているようだと言われただけ。
 あの事件でわたしは、繰り返し何人もの男性に犯され続けて、最後には忌まわしい力を呼び戻してしまった。初めは己を守るためだったのかもしれない。でもそれが復讐になり、復讐を言い訳にした殺戮になり、最後には言い訳さえ必要とせず、ただ力と血に酔って殺し続けた。
まがれっ!」
 叫びながらわたしが虐殺しているのは、クラスメイトたち。
 夢とは言え、礼園の生徒を標的にしている理由は判らない。判っているのは、友達を捻れた肉片に変えながら、わたしが歪んだ笑いを浮かべていること。
 そんな夢を幾ら見ようと、わたしが苦しむだけなら、良い。あれだけの殺しと破壊をしたわたしが業火にさいなまれても、受け入れるべきなのだ。むしろわたしは嬉しく思いさえした。痛みを感じなくなった途端、精神の呵責かしゃくさえ、頭の中で考えるものでしかなくなっていたから。それが悪夢という形でも現れたのは、わたしにもまだ、己の犯した罪を背負うだけの魂が残されていたことを証明してくれている気がして。
 だけど、事態は悪い方向に進みつつあるらしいと、ある朝に知った。
 その朝方も夢を見ていた。
 足下には、とっくに挽肉になって顔もよく覚えてはいない少年たちが散乱していた。踝まで血に浸かっていた。ひとつだけ、辛うじて成人男性らしいと判る肉の塊がある。体は仰向けなのに頭は真下を向いているから、誰なのかは判らない。
「バケモノ」
 声が聞こえて、振り向けば赤いジャンパーの少女がいた。
「あなたっ」
 名を思い出すより先に、わたしは力を放っていて、だけどまるで効果が無くて。
 むきになって何度も禍言を叫び、そのたびにナニカがイタむ。
「止めるんだ」
 誰かがわたしを取り押さえようとして来て、でもそれが男性だったから刹那に曲げてしまい、その人は捻れて千切れてコワレて消えタ。消えた後で、それが誰だったか理解して、わたしは気づいたら自分の姿を俯瞰していて、そこに軸を重ねていて、右と左に、曲げようと、して、いた。
 その朝も、近頃いつものように、汗で寝間着を濡らして目が覚めた。
「またうなされていましたよ、浅上さん。本当に大丈夫なのですか?」
 心配したルームメイトがその朝も声を掛けてくれたけど、わたしは上の空だった。いつもなら、ひたすらに虐殺して終わる夢なのに、いろんなものを見たから。
 でもそれさえも、吹き飛んだ。起き上がってすぐに目に入ったのが、無惨にまがったヘアブラシだったから。
 体の動きが悪くて、体調がおかしいことが推測できたけど、わたしは起きあがった。一瞬だけ、何かが痛んだ。
 痛みが感じられることは嬉しく、そして恐ろしかった。悪夢を現実で具現化できることを期待しているような気がして、嬉しいという感情が怖かった。

 不意に風呂場の入り口が開けられた。
「あっ」
 入って来るのは、幹也さん。思わず湯に鼻近くまで潜り込んで、そのくせ、初めて自分の意志で男性の裸を見た。まじまじと見つめてしまった。
「あんまりゆっくりだったから。って、そんなに見られると照れるけど」
 言いながらも、幹也さんは体を隠そうとしない。脚の根本のところが毛で翳っていて、その中にペニスが見える。体温の上昇を感じるのは、湯に潜ったからではあるまい。
「のぼせたりしてないね? よし、体を洗ってあげようか」
「もう洗いました」
 断ろうとしたけど、穏やかながらも有無を言わせず、わたしの手を取って立たせる。湯から体が出て、わたしの方も視線に晒されることになる。率直に言って、ものすごく恥ずかしい。ほぼ、見ることでしか自分の体を認識できないから、わたしは自分の体に無頓着だった。犯されても、よごれたという以上には碌に何も思わなかったのも、そのせいだろう。
 それなのに、幹也さんに見つめられるのは、途轍とてつもなく恥ずかしかった。それでも隠さずに、見せた。
「綺麗だね、藤乃ちゃん」
 ささやいて、正面から抱き締めてくれる。目で見てそう判るだけ、ではなかった。明らかに、体温が上がっている。
 それから、わたしを大きな鏡の前に立たせ、今度は後ろから抱き締めた。ボディソープを手に取って、直接お腹に両手を当てる。慈しむように、丁寧に、両手で撫でる。
 わたしは何も感じない。
 鏡の中で、わたしとそっくりな誰かが同じようなことをされている。見えているだけなのは変わらないから、どっちが本物だか間違えそうな気がする。
 幹也さんの手は上に滑って行き、胸の膨らみをすくい上げるようにしながら乳首を摘んで弄ぶ。泡に滑って手からこぼれ落ちる。
 洗ってあげる、なんて言っていたけど、そんな風には見えない。繰り返し、繰り返し、わたしの乳房を揉んでいる。こっそり幹也さんの顔を見たら、少しにやけて、楽しそう。また乳首を摘んで、くりくりと先端を擦り続ける。
 色んな人が居るのは間違いないけど、大きな胸をした女の子の好きな男性は多いって、鮮花は言っていた。
「おっぱい、好きなんですか、先輩?」
 言ってから、鼓動の高まるのを感じる。
 びっくりした様子で、だけど穏やかに、幹也さんは答える。
「好きだよ。ふふ、乳首、こんなになってるよ」
 泡を払い落として、円錐に尖った胸の先端を強調してみせる。
「いゃん」
 生粋の礼園のお嬢様達の中には、信じられないぐらい性知識の無い子も居る。でもわたしはと言えば、高校から入った訳だし、しばしば外出や外泊をしているような生徒だ。セクシャルな刺激で男性の性器が大きく硬くなることや、同じように乳首が勃起することぐらいは知っている。
「ほら」
 幹也さんはわたしの手を捕まえて胸の膨らみに当てさせ、上に自分の手を重ねて開いたり閉じたりする。結果、わたしは自分で乳房を揉むことになる。こんなふうにして、普通の人なら自分で快感を得ることができるんだってことも、知識としては知っている。肌の感覚は無いけど、ただ、イヤラシイとは思った。
 思った途端、また羞恥に襲われる。恥ずかしくて逃げ出したいけど、我慢する。

 あまりの偶然は、空恐ろしくさえあった。
 その日、当ても無く外出したわたしは、街を彷徨っていた。もともと、無闇に外出するからあんな目に遭ったのだとは判っている。それでも、ヘアブラシをねじり斬っていた後で、夢で殺していたクラスメイトたちの顔なんて見ていれられなかった。
 街に出て初めて、男性に恐怖を覚えていることに気付く。以前はこんなことはなかったから、これも夢を見始めた頃からなのだろう。礼園に居る限り周囲には女性しかいないから、判らなかったのだ。
 小さな子供や、お年寄りは大丈夫。一番駄目なのは同世代の男性。判りきった話で、当時わたしを犯したような男の人たちが怖いわけだ。
「困りましたね」
 別に、恐怖に動けなくなるとか言うほど酷くは無いけれど、落ち着かない。傍に寄られそうだと判ると避けてしまう。触れられるのは嫌。悪いことに、やはり礼園の制服は同世代の男性の興味を惹くようだ。
 狭い道で、こちらに来るグループを避けようと道端に寄った時、いきなり視界が転倒した。手を出すのが間に合って、アスファルトに顔をぶつけるのはどうにか避けられた。見てみれば小さな段差があって、これに躓いて転んだらしい。珍しくも無い、足が引っ掛かっても簡単には気づけないのだから。
「大丈夫?」
 挨拶程度に、グループの一人が声を掛けてくれる。金髪に染めた、十代前半ぐらいの女の子。
「はい」
 平静を装って答える。恥ずかしいとも思ったけど、すぐにそれどころでは無くなった。
 打ち付けた膝が、痛んだから。
 焦燥に駆られて、目的もなく人通りの少ない道を選びながら歩き回る。そして、出会ってしまった。
 あの人が居たんだ。
「浅上さん?」
 名を呼ばれて陶然となってしまい、あの人が焦った顔をしているのになかなか気づかなかった。なぜ名前を知っているのか疑問に思う余裕も無かった。同年代の男の人だけど、話し掛けられても傍に寄られても怖くないことは、すぐに判った。たとえ生涯男性とまともに付き合えなくても構わないなんてことさえ思ったけど、もう揺らいでしまった。
「先輩っ」
 思わずしがみついて、気が付いたら、わたしは胸に顔を押し当てて泣いていた。号泣した。なぜ涙が止まらないのか、自分でも判らなかった。
 判ったのは、わたしは本当にこの人が好きなんだってこと。
「ええっとっ。何か、あったの?」
 当惑した様子で、だけど邪険にせず受け入れてくれていたから、その態度に甘えて泣きたいだけ泣いた。
 あんな些細な一言だけで何年も経っても好きだなんて、子供っぽいと思うけど、好きなのに違いは無い。自分の感情が本物なのか、いつも自信が持てないけど、この人が好きなのは真実だ。
「ほんとに、浅上さんで合っているのかな?」
 ようやく落ち着いた頃、こんなことを訊かれた。周りのことなんて見えてはいなかった。路上でいきなりしがみついて泣き出した女の子を、正体に確信も持てないまま長時間抱き留めていてくれたらしい。そう思うと、出所の判らない優しい感覚が腕の中に満ちているようだった。
「はい、浅上、藤乃です。お久しぶりです」
 そうか、という先輩の返事は少し震えていた。

「体はちゃんと反応してるみたいだよ」
 幹也さんは、そんな意地悪を言う。さっきから胸を愛撫されていて、わたしの体はしっかりと反応している。だけど、わたし自身は何も感じていない。
 いや、嘘だ。
 こんなにも恥ずかしくて、だけどこんなにも嬉しいのだから、何も感じていないなんてことはない。
 やっと胸を離れて、わたしの手を解放しつつ自分は脇腹を掴む。指先で引っ掻くように踊り回ったり、ぺたりと押し当てて腋のあたりまで上下に往復したりする。
「くすぐったくはないか」
 一々探るようなことを言われるのは、少し、辛い。
 体を離して、肩から背中にかけて撫でているみたい。体を横に向けて、鏡で確かめる。幹也さんは後ろに移動して、続ける。
 わたしは不意に振り向いて、抱きついた。初め戸惑わせたみたいだけどすぐに受け容れられ、抱き締められて、背中を両手で愛してもらう。肩のあたりに頬を寄せて、また鏡の中のわたしを見ていた。
「おっぱいが気持ち良いよ」
「えっ?」
 触っているわけでもないのに、どうして今。そう思ったら、幹也さんが片手を二人の体の間に入れて、少し押し離す。それから、バストに手を当てる。
「これだけの膨らみが押しつけられれば、そりゃ、気持ち良いよ」
 そういうものなのか。
 鏡を見ていて、幹也さんの性器が大きくなっているのが目に付いた。良く見てみたいと思いながら、躊躇ためらう間に再び抱き寄せられた。
 思い切って、言う。
「先輩、お願いがあるんですけど」
 少し首を傾けて、瞳を覗き込んだ。
 それ以上は言えずいに俯いてしまったわたしの顔を上げさせ、片方しかない目で見つめてくる。視線一つで判り合えるなんて信じないけど、判って欲しかった。
 幹也さんは両手でわたしの頭を抱いてくれ、そっと唇を重ねてきた。眼前に傷ついた目があって、他人の傷なのに、自分の傷だって痛まないわたしなのに、酷く痛い。
 唇にも舌にも触覚はないけど、子供っぽくない発音のために訓練したから、自分の舌がどこでどうなっているのかはだいたい判る。口の中で舌を動かされていているのは、幹也さんのと絡み合っているからだ。味はしないけど、まさかレモンみたいだったりするわけもないし。
 わたしも両手を幹也さんの頭に回して、逃がさないように繋ぎ止めた。ちょっとだけ離れて、息を整えて、再開する。目を瞑ると、息が自由には出来ないことだけがキスの証。
 そのままの状態で、勘だけで手を動かして、幹也さんの男性を探った。わたしの体より前で、下の方で手を出して左右どちらにも障害物のある場所を見つける。ここが脚の間のはず。そこから手を上に上げていくと、別の障害物に当たる。指に掛かる負荷からして、柔らかいものがぶら下がっている感じ。
「藤乃ちゃん」
 唇を離して、驚いた声で言われた。
「痛かったり、しません?」
「大丈夫だよ」
 言って、わたしの手を導いた。棒のところを握らせて、自分の手を重ねて、上下させてくれる。
「気持ち良いですか?」
「うん」
 顔をほころばせている。
 動きの範囲を覚えて、自分で手を使う。
「もうちょっと強くても良いよ。っていうか、今のじゃ焦れったい」
「うふ、えっち」
 意味の無いことを言って、僅かに力を込めた。半熟のゆで卵が潰れないぐらいかな?
 くっ、と、幹也さんの表情がとろける。
「もっと、キスしてください」
 リクエストには、すぐ応えてくれた。やっぱり目を閉じて、息苦しいことと、男性を愛撫するために手を上下させていることと、それだけに意識を集中した。

 喫茶店を見つけて、人目に触れない席を確保してくれた。先輩の言葉に従ってお手洗いで顔を洗い、酷い顔だったから、せめて口紅だけ引き直した。泣かせて貰っただけで、ずいぶんと落ち着いていた。
 どうにか先輩に見せられる姿を取り繕って、席に戻る。紅茶とシフォンケーキが二人ぶん、既に届いていた。
「何か、お腹に入れると良いよ。心に至る道は胃を通る、なんて言うし」
 何も尋ねず、そんな言葉だけをくれる。言われて初めて、お腹が減っているはずだと思った。
 そういえば、あの朝もご飯を食べさせて貰ったな。
 少しだけカップの紅茶に砂糖を落としてかき混ぜる。この溶け方からして、まだまだ熱いはずだ。ふーふー言ったりしつつ、少しだけ口に含む。学校で飲むのと同じ香りがして、一瞬不安が呼び起こされて、だけどやがて落ち着いた。今のところまだ、礼園は安らげる場所のうちなのだろう。
「猫舌なの?」
「あ、いえ、別にそうでもないんですが」
 それには、ほど遠い。
 ケーキの方にも手を着ける。スポンジみたいなのを切り分けて、お皿に盛られたクリームを乗せて口に運ぶ。甘い塊をゆっくり噛んで、喉に詰まらせないように丁寧に飲み込んでいく。やっぱり体はエネルギーを求めていたのか、食べ始めたら夢中になってしまった。
「美味しい?」
 楽しげな響きに、一言も話さずに食べていたのに気づかされた。鼓動が速くなるのを知覚しながら、どうにか返事する。
「はい。すいません、しばらくこういうもの食べてなくて、その」
 気恥ずかしくて顔が上げられなかった。結局美味しくて夢中だったのだ。
「なんだったら、こっちも食べてくれて良いよ」
 見れば、先輩は少しも食べていなかった。
「いや、そんなわけにも」
 言いながらも、自分の皿がほとんど空になっているのを見るとちょっと残念に思う。照れて笑って、甘えることにした。
「ごめんなさい、じゃあ、やっぱり半分だけ下さい」
「OK」
 自分のナイフで二対一ぐらに切り、大きい方をわたしの皿に移してくれる。それから、クリームの大半も載せてくれた。
 今度こそ落ち着いて食べながら、ようやく生まれた疑問を口にした。
「先輩、どうしてわたしの名前をご存じなんですか?」
 しまった、というような顔を見せながら、先輩は答える。
「いや、そうじゃないのかなって思う理由はあったんだ。それで、確信はなかったんだけど、顔を見たとき思わず口にしてしまって」
 えっと、それじゃ、ひょっとして?
「こっちから、ひとつ尋ねて良い?」
「はい? あ、良いですけど」
 了解したものの、何を訊かれるか想像も付かず、ちょっと怯える。
「僕って、浅上さんにとって何の先輩なの?」
 総体の時のことを思い出してくれたのかと期待していた拍子だったから、問われた意味に戸惑って、少しの間沈黙してしまう。変な顔をしてしまったのか、先輩も表情を固まらせていた。
「えっと、そうか。覚えてらっしゃらないんですね」
 話を始めようとして、やっと意識したことがもうひとつ。ずっと好きだった人のことを、わたしは何も知らない。
「ごめんなさい、その前に。わたし、先輩のお名前も知らないみたいです」
 きょとん、として少し間があり、笑って教えてくれる。
「名も知れない先輩だったのか。僕は、黒桐幹也。色の黒に、樹の名前の桐って字を書く。桐箪笥きりだんすとかの桐だね」
 名を聞いて、今度は長いこと返事が出来なかった。
 まさか、先輩が鮮花のお兄さんだったなんて。

 キスを中断し、シャワーを取ってわたしにお湯をかけ、泡を洗い落とす。軽く触れるだけのキスを唇にしたあと、幹也さんは首や肩に次々と口を付けた。唇を当てているだけじゃく、舌で舐めているのが鏡を見て判った。
「汚いですよ、舐めたりしちゃ」
「さっき、もう体は洗ったって言わなかった?」
「それはっ。言いましたし、事実ですけどっ」
 抗議を聞き入れず、前より露骨に肌を舌で辿たどって見せている。右腕を上げさせて、腋に顔を近づけて来る。
「やだ、そんなところ」
 やっぱり聞いてくれなくて、腋にも口を付ける。ちゅっ、ぺちゃっ、なんて音がしている。やっぱり皮膚では何も感じないけど、舐めたり吸ったりしてるらしいのが判って、高揚と自虐を同時に感じた。
「やんっ」
 なんとなく口に出したら、幹也さんは言う。
「実はここ、弱点?」
 そんなわけは無いけど、その嘘はどこか楽しい。
 体の前に戻ってきて、また一瞬だけ唇を重ねて、今度は乳首に口を付けた。手も使い始める。夢中で乳首を吸う幹也さんが何だか可笑しくて、でも愛しくて、頭を抱いた。幹也さんは両手でわたしの胸を内側に寄せて、そこに顔を埋める。性的な行為なのかもしれないけど、どうしても甘えた仕草に思えて可愛い。
 しゃがみ込んで、わたしの下腹部のあたりに幹也さんの頭が来る。目の前にわたしの女を晒しているのだと自覚して、今度ばかりは横を向いて離れようとした。
「だめ、逃がさないよ」
 腰に抱きつかれて、動けない。
「恥ずかしいです」
 下の毛をくしけずって、その下を覗き込まれている。そこがどんな風なのか、わたしは良く知っている。傷ついたりしていないか、おかしなことがないか、昔からよく鏡で見ていたから。ここばっかりは、そうそうお医者さんに見て貰うわけにも行かないし。
「綺麗だよ。えっちだな、もうたっぷり濡れてる」
「お風呂ですからっ」
 鏡の中のわたしは、林檎みたいに顔を赤くしていた。
「うーん、これはお湯じゃないと思うけどな」
 触ったらしく、幹也さんの指に少し糸を引く液が付いている。
「知りませんっ」
 何を知らないと言ってるんだろうなんて、自分で思っていた。
「嬉しいよ。体だけでもさ、こちらの行為に応えてくれるのは。例え形だけでも」
 わたしの手を取り、また鏡の方を向かせて、自分で触らせる。
「ここが女の子の体で一番敏感だとか言うんだけどね」
 クリトリスをつつく。敏感なのかもしれないけど、わたしには相変わらず何も感じられない。ただ、一瞬腰のあたりで、がくんって痙攣めいた動きがあった。
「指入れるよ?」
 何をされているところなのかわたしに把握させたいらしく、一々言ってくる。次々と羞恥を畳み掛けられられて、でも嫌じゃなかった。
「ここに力を入れられない?」
「そんなこと、」
 出来ますけど。
 できるのは、あのとき強要されたから。そうすれば早く終わったわけでもあった。
 でも、幹也さんになら、喜んでして上げられる。
「うあっ、すごいね。肝心の時はちょっと手加減してね」
 これじゃ強すぎるのかな。手足の筋肉なら加減も判るけど。
 犯されたときのことは、実はあまり詳しくは覚えていなかった。そういう働きが人の心にはあると聞いている。近頃は夢に見たりするけど、それでも、犯されたことより殺したことが鮮明に現れる。 これが、殺したことの方を重く思っているからなのか、犯されたことについては未だに向き合えていないからなのか、そのへんはよく判らない。
「今までに僕、何か嫌なこと言わなかった?」
 考えていたせいで、幹也さんが立ち上がったのを見ていなかった。問いの口調が心配げだから、わたしは急いで答える。
「大丈夫です」
 抱き締めて、耳に口を付けて言ってくる。
「ほんとに? 出来るだけ普通にしようと思ってたから、考え無しに聞こえること言わなかったかなって思って」
 ああ、そうなのか。
 なら、率直に答えるべきだろう。
「知覚しないことがあるのを再度思い出させられる言葉はありましたけど、大丈夫です。普通にされるのが、一番嬉しいですから」
「ありがとう」
 お礼なら、わたしが言うべきなのに。
 再びしゃがんで、幹也さんはいきなり女の部分に口を付けた。
「ひゃんっ」
 その瞬間、わたしは声を上げていた。

 先輩が鮮花のお兄さんだったことに驚いて何も言えずにいた。頭が回転するのを何かが止めていた。
 沈黙が気まずくなる直前、向こうから口火を切ってくれた。
「話しにくいなら、僕の方から知っていることをしゃべってみようか」
「はい」
 紅茶を一口飲んで、先輩は話し始める。
「僕にとって君は、雨の晩に道ばたで座り込んでいたところを部屋に連れ帰って泊めた女の子だ。ははは、こういうと何だか妖しいね」
 くす、と、わたしも笑えた。
「それとは別に、浅上藤乃なる女の子のことに関わる機会が前にあってね。話は前後するんだけど、その出来事の途中で、浅上藤乃さんが妹の鮮花の友人だと知った。それまでは、女子高生としか知らなかったんだ」
 穏やかな口振りは少しも変わっていなくて、聞いているだけでほっとする。嵐の夜に明かりを見つけたみたいで、とにかく傍に寄りたくて。
「その日、僕は鮮花とアーネンエルベで会う約束をしていたんだけど、急ぎの用事が出来て行けなかった。あのとき浅上さんが鮮花一緒に居たそうだね。式からそう聞いた」
 式の名前に、ちょっとクラリとした。もう少しで殺されるところだったんだなって、今更思った。
 ――あ。
 父の橋の上でやりあった、あの死神が、両儀式というひと。
 ――先輩は続きを話しているけど、耳に入らない。
 アーネンエルベに伝言に来てくれた式という人は、鮮花のお兄さんと付き合っている。
 ――考えない方が良いと判っているのに、そうは行かないとも判ってしまっていた。
 鮮花のお兄さんは、目の前の黒桐幹也さんなのだから。
 ――気付いてしまった。
 この人の一番傍には、わたしの居場所なんか、無いって、ことに。
「それで、ん? 浅上さん?」
 あたりまえのこと。先輩にも自分の生活があって、わたしの方に、何もかも預けてしまう気があったところで、受け止めてくれると決まっているわけじゃない。
 わたしがどんなにこの人が好きでも、先輩にもやっぱり好きな人が居たりして、そんなのはあたりまえのこと。
 あたりまえなのに、受け入れられなかった。
「痛い」
 知らず、口にしていた。
「え?」
「痛いです、せんぱい、」
 ああ、駄目。視界が歪んだ。
 いたみをかんじちゃ、だめ。
 痛みは訴えるものだと、先輩も、あの死神さえも教えてくれたけど、相手が受け入れてくれないのなら、
「どこが痛いの?」
 いたいのをかんじては、イケナイ。
 視界が歪むのは、涙のせいではないと判った。
 うつむいたわたしの顔を先輩が上げてくれて、見ればあの穏やかな顔が心配そうにゆがんでいた。
「大丈夫です」
 答えたとき、ちらりと、髪で隠れた左眼に酷い傷のあるのが見えた。
「どうしたんですか、その目」
 ちょっと困った顔をして、言う。
「色々、あってね」
 その口ぶりが、あまりに何でもなさそうだったから、この人なら受け入れてくれたはずなのになんて、思ってしまった。
 何かが、酷く、痛い。
「駄目っ!」
 顔に添えられていた手を振り払って、横を向こうとして、どうにか間にあったとは言えるだろう。
 曲げてしまったものが、ガラスコップで済んだから。
 幸いなことに、そこで意識が、途切れてくれた。

 

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