午後十時を過ぎたら屋敷の中でも無闇に歩き回らない、それが遠野家の規則。一番破るのは志貴で、一番うるさいのが秋葉。しかし、今ルールを破っているのは秋葉だ。
 夜中、寝間着姿のまま部屋を出て足音を忍ばせ、志貴の部屋に向かっていた。
「あんな言い方、してしまったから……」
 溜め息を吐く。


◇warm-up

「最近、夕食後は何をされているんですか? 兄さん」
 夕食後のお茶の時間に、思わず尋ねていた。志貴が夜に屋敷を抜け出すかどうか、それぐらいのことは夕食の時の態度で判ってしまう。今夜はその気配が無かったから、一夜兄を独占したかった。出来ると思った。
 今夜は自分の相手をして欲しいと言いたいだけなのに、どうしても小言めく。
「何って、そりゃあ、宿題とか何とか、することは色々あるよ」
「そうですか。随分と早くお休みの日があるようですが、また翡翠に無理をさせていなければ良いのですけども」
 翡翠は志貴に忠実だから、嘘を吐けと頼まれれば従う。しかし、同時に秋葉に対しても忠義は堅いがために、無理をすることになる。結局、それが現われて秋葉には見え透いてしまうのだ。
 出ていって何をしているかぐらい、秋葉は知っている。アルクェイドやシエルに会っているのだと。会って何をしているのか、考えたくもないが、判りきっていた。自分のことを考えれば判るというものだ。
「五日連続の外出はされないんですね」
 言い合ううちに、いや、実際には一方的に叱りつけるうちに、こんな話になる。
「五日って、そんなに続けては……」
「お出かけだったのには違いないのですね」
 相変わらず、誘導に脆い兄だった。そもそも、夜に出歩くことは禁じられているのだ。
 何度と無く繰り返した門限や規則について捲し立て、黙らせて、そのまま志貴を部屋に追い遣ってしまった。
 そして、今夜は出掛けないだろうにしても、自分のものにもし損ねかけているのに気付かされた。

 それでも、期待していた。結局、どれほど秋葉が小言を言おうと何をしようと、出ていくときは出ていってしまう。同じように、秋葉を抱きたがるときには有無を言わせないのだし。来て欲しかった。
 それなのに、いつまで待っても部屋を訪れる者は無かった。
 普段なら拗ねて寝てしまって、翌朝志貴に辛く当たったりするだけ。だけど、今夜は独り寝するのは寂しかった。
 ご無沙汰だから。期待してしまったから。
 ベッドで繰り返し身を翻し、熱い息を吐き続けていた。知らず、手が寝間着に潜り込んで脚の間にあった。はしたない行為を恥じ、それでようやく、意を決した。
 志貴の部屋に至り、扉を敲く。
 こん、こん、こん、こん。
「兄さん、お休みですか?」
 兄の眠りの深いことは知っているから、幾分危惧していた。
「ん、秋葉? 起きてるけど」
 すぐにあった返事に安堵する。
「どうかしたの? 珍しいな、秋葉がこの時間にうろうろしてるなんて」
 小さく開かれた入り口の隙間から身を躍らせて、志貴の部屋に入る。スタンドひとつ灯したきりの部屋は薄明るく、良く知った部屋でありながらも違って見えた。
「夕食ときに申し上げたことを本当にお判りかどうか、確かめに来たのです」
 抱いて欲しいと言えたら良いのに。思いながら、台詞は用意したのに、やっぱり口をついて出るのは辛い言葉ばかり。
 それでも、志貴は穏やかに苦笑いして応える。
「ちゃんと居るだろ? 十時過ぎて歩いて来たのは秋葉の方だぞ」
「良いんです、私は当主として兄さんを監視する役目を果たしに来たのですから」
 もう一度穏やかに笑って、志貴はベッドに腰掛ける。
「でも、パジャマのままなんて、それも珍しいね?」
 指摘されて、秋葉は息を飲む。もう消灯時間なのだから、夜着で居ることに不思議はない。それでも、自分の使った口実には不似合いだろう。衝動的に部屋を出たために意識にも登らなかったのだ。
 出来るだけ、不自然にならないように意識しながら、志貴の隣に自分も腰を下ろした。
「別に、兄さんをいびりに来たわけでは無いのですから。少しぐらい砕けていても良いでしょう?」
 鼓動を抑えられないものか、そんな詮無きことを思う。
「そうだね」
 隣に座る兄を秋葉は凝視する。見つめ合っていて、志貴の顔に薄く悪戯な笑いの浮かぶのを見つけ、秋葉は言う。
「どうしたのですか?」
「いや、ちゃんと居るって判ったのに、どうしてまだ帰らずにベッドに座ったりなんかしてるのかなって」
「妹と居るのがそんなにお嫌なのですか?」
 理由追及を反らすには、こんな超越した論理が良い。
 体ごと兄の方に向き直り、柔らかく見つめる。女らしい肉感に乏しい躯で誘惑するのは難しかったが、目の前の恋人の男を滾らせる術も知らなくはないのだ。
「そんなことはないよ。でも、えっと、まだ何か言いたいのかな? 秋葉は」
 小さく首を振って髪を揺らし、頬が染まるのを意識しながらも悠然と笑う。
「遠野家の長男なら、女性に意地悪するのはお止め下さい」
「いや、そう言われても。いっつも鈍いって散々馬鹿にされてるのに、こんな時だけ勘が良いわけもないじゃないか」
「じゃあ、どうしてそんなにニヤニヤしてらっしゃるんですかっ」
 さらに頬を染めて言う秋葉を志貴は不意に抱き寄せる。その温もりだけで歓喜してしまう。
「ちゃんと言ってくれないと判らないなあ」
 寄せられた口から息が耳にかかり、敏感な少女は、またそれだけで身を震わせる。
「んぁ……ですから、今夜、」
 言い淀んで顔の位置を変え、志貴を正面から見上げる。あと数センチも近づけば唇の触れ合いそうな距離。
「しょうがないなあ、秋葉は」
 あやすように囁くと、志貴は妹の求めに応じてやる。血こそ繋がらないながら、秋葉は背徳の匂いに掻き立てられる。
 ちゅっ
 静かに、一瞬だけ慈しむように唇が触れ合う。もっと、と仕草でせがむのを無視して、いきなりベッドに引き倒す。淡い桜色の夜着に包まれた細身の体が白いシーツに横たえられ、ふわりと黒真珠のような髪が広がる。
 上から覆い被さり、顔同士を近付けて志貴は囁く。
「それで、『今夜』どうしたの?」
 まだ意地悪を続ける兄を壮絶に睨み付けながら、躊躇いの後、どうにか睦言を紡ぐ。
「可愛がって下さい」
「それは当主様の命令かなあ?」
「違いますっ」
 叫んでしまう。
「じゃあ、何? 鈍いから判らないなあ」
 どうしたって、ベッドの上では敵わない。
「違います。兄さんの恋人からのお願いです」
「お願いと言うより、おねだりみたいだね」
 そしてやっと、焦らしていたキスをしてやる。軽く触れてはすぐに逃げる志貴の唇に縋るように、秋葉は一心に吸い付く。舌が絡み、落ちてくる唾液を味わって飲み込む。頭を両腕に抱え、舌を伸ばし、唇を突き出して貪る。待たされ続けた口付けに酔う。
 少し離れ、眼を覗き込まれて、羞恥とそれから起こる官能に身を焦がした。ゆっくりと志貴の優しい手が胸に降りる。控え目という表現が控え目になってしまうような慎ましやかな胸でも、志貴はいつもたっぷりと愛してくれた。恥ずかしくて、でも嬉しかった。
 シルクの生地越しに乳首を擽られて、もう耐えられずに喘いでしまう。
「いつも以上だね、秋葉の敏感なのは」
「何日も放っておかれた兄さんのせいですっ」
「ふふ、照れなくても、敏感なのは良いことじゃないか。でもね、秋葉。ここでするのは止めた方が良いと思うんだけどな」
 ここまでしておいて何を、と蕩けかけた頭で思考する。
「何故、ですか?」
 体を肘で支えて、志貴は秋葉の両方の乳首を可愛がる。2つとも既に隆起していた。
「そろそろ判るんじゃないかな」
 何のこと? との疑問も、再び重ねられた唇の感触に融けて流れ去ってしまう。
「ん、んふ……」
 首を這う舌と乳首への刺激とに意識が砕けていく。直接、肌に触れて欲しいけど、はしたなくねだるのは憚られる。いつもならとっくに激しい行為に至っている頃なのに、何故か酷くゆっくりだ。
「兄さん……」
 我慢できず、やっとそれだけ呟いて求めた。
 今度は意地悪をされることなく、兄はボタンを外し始め。緩慢に衣服が開かれ、薄赤く染まった肌が露わになって行く。羞恥が増し、それ故に官能もまた。
 志貴が口を乳首に寄せる。ふーっと息だけを吹きかけ、触れずに反対側に移る。
「ぁん、」
 ふーっ。
 くすぐったいと思い、でもそれは嘘だと知っている。
 また反対側に、ただ、ふーっと。
「んぁン、兄さんっ」
「ふふ、これだけで乳首、こんなに尖らせるんだもんな、秋葉は」
 あまりに敏感な己を、愛しい兄は良く知って愛してくれる。
「ほら」
 一声かけて、志貴は小さくも隆起した乳首を口に含み、吸い、小刻みに舐ってやる。
「ふあぁっ」
 鋭く貫いた歓喜に秋葉は憚らず声をあげる。
 その途端。
「志貴ーっ!」
 悔しくも聞き慣れてしまった声は、どうかすると窓の開く音より先に部屋の中で響いた気がした。
「あ、妹ーっ」
 はしゃぎ声で兄の名を告げるのに続き、幾分激しく自分も呼ばれた。
 闖入者の正体をすぐに把握し、条件反射のようにに追い出しの言葉を探しながらも、快楽に溺れかけた秋葉の頭脳は状況を忘れていた。
「アルクェイドさん、こんな時間に兄さんに何の用ですっ」
 志貴を跳ね退けて言ってしまいながら、やっと自分の、胸元を肌蹴け、全身を上気させ、乳首を尖らせた姿を思い出す。
 大慌てで胸を腕で覆い、狼狽しながらもアルクェイドを睨み付ける。
「あれ? そんなところに隠すもの在るのかなー、妹?」
 侵入者は腕を組み、存在感の違いを強調していた。
「兄さんっ」
 腹立たしくも、まだ動転していて、愛しい人に助けを求める。
「言っただろ、ここでするのはまずいかもって」
 予期していたらしい兄の言葉に、秋葉は唖然とした。
「と、とにかく、何の御用なんですっ」
 取り繕いきれず、威嚇して声を発する。
「妹がこの部屋に来たのと似たようなものだと思うけど?」
「私と同じって……」
 言いかけて、意味することが判り過ぎて口ごもる。
「でも妹、この部屋にまで来ちゃうんだ」
「ここは遠野の屋敷です、私が何処に居ようと勝手でしょう」
「ふふ、良いよ? でも、それなら今度からわたしも遠慮しないからね」
「遠慮ですって?」
 声を荒げるばかりの秋葉の肩を抱き、志貴が宥める。
「アルクェイドにはね、俺が秋葉の部屋とかに居るときは入って来るなって言ってあったんだ。そのことを言ってる」
「え?」
 いつも無遠慮に押しかけては志貴を連れ去っていくイメージしかなく、初めて聞いた話だった。
「そうだよ、志貴が妹とえっちしてるのが判っても大人しく帰ってたけど、妹がこの部屋まで来るって言うんだったら今度からお邪魔しちゃうから」
「そんなことっ」
 勝手なことを、と思いながらも、一応はそんな気遣いをしてくれていた兄と従っていたアルクェイドに驚いた。そして、目の前のアルクェイドが怒ってはいなくて、むしろ笑っているのに気付いて、少し平静を取り戻す。笑われているのだとしたら悔しい。
「今後とも来ないで下さい、私の部屋には」
 落ち着いてしまうと急に弱気になり、トーンが落ちていた。
「ふふ、妹がこの部屋は使わないって約束するんだったらね」
 いつの間にか秋葉のとなりに座ったアルクェイドが顔を覗き込んで言う。
 長々と逡巡し、認めたくないと思いつつ、秋葉には拒む自信が無かった。こんなに間近では、アルクェイドの美しさばかり目に付いてしまう。自分の容姿に自負はあっても、太陽の前に霞む思いがしてならない。
「判りました」
「うん、じゃあ、これまで通り妹の部屋とかには行かないでおくね」
 断腸の思いの決断も、アルクェイドがあっさりと約束してくれるのは報いだった。確かに、今まで自分の部屋で志貴と過ごしているのを邪魔されたためしは無かったから、きっと本当に守ってくれるだろうと思えた。
 思い出してみれば、嘘を吐く人ではないのだ。
「で、今日はどうするの?」
 アルクェイドが悪戯に問う。
「今日?」
 あ……。
 つまり、今のことだ。ここは使わない、と約束したのだから、このまま続けるわけには行かないのだ。
 中断されて不完全燃焼ながらも、寝てしまうことは出来なくはなかった。ただ、自分が出て行ったら、兄はアルクェイドと。
 二人の関係など痛いほど知っているにしても、その仕打ちは辛い。
「切羽詰ってるね」
 ずっと黙していた志貴が声をかける。
「兄さんっ」
 そもそも、志貴が早く告げてくれていたら。それとも、自分の部屋に来てくれていたら。そうすれば、こんなことにはならなかったのだ。先の行いは、まるで自分に惨めな思いをさせようとしたかのよう。
「俺を秋葉の部屋に連れて行く、なんてことも思いつかないわけだ」
「あ……」
 奇跡のようにさえ思えた、その単純な救いの手に縋ろうとする。だけど、すぐに潰えてしまう。
「駄目よ、志貴、そんなに甘やかしちゃ」
 目の前の美しき人の手によって。
「判りました」
 兄が自分の部屋に来てくれなかったのは、来客を予期していたからだろう。ならば、今夜は自分は選ばれないのだ。辛くても、これ以上未練たらしいのは自分でもっと許せなかった。最後の足掻きのように、寝間着のボタンをゆっくりと留める。
「ねえ?」
 半分ほど留めたころ、アルクェイドが言う。
「何ですか、アルクェイドさん」
 矜持を保って冷徹に応える。
「一緒にするんだったら、居ても良いよ?」
「一緒に……?」
 きょとんとする秋葉を志貴とアルクェイドが左右から挟む。
「秋葉は、この部屋に何をしに来たんだった?」
「それは……その」
「だからね、それを三人一緒にするんだったら、出て行かなくても良いよって言ってるの」
 意味を解して呆然とした。まさか、そんな提案をされるとは思わなかったから。
「そんな、恥知らずな」
 やっと、そう口にしながら、急速に思考が融けていく。少なくとも、惨めな思いで一人寝する羽目にはならずに済む。
 でも。そんなこと。一緒に居たりしたら、志貴がアルクェイドと睦み合うのを目の前で見せられてしまう。
「そんなこと、兄さんは良いのですか」
 考える時間が欲しい。
「良いよ。秋葉とアルクェイドが仲良くしてくれるなら、そんな良いことは無いし。でも秋葉が言うように、恥知らずなことだとは思うから、嫌だったら求めない」
 言い訳が欲しかった。単に、そうしろ、と言って欲しかったのだ。恋人に複数の女性と同時に同衾させるなんて不道徳なことを、自分の望みとして認めさせられたくはなかった。
 でも、そうすれば。自分と志貴が愛し合うところを、アルクェイドに見せつけることも出来る。
「ふふ、気持ち良いこといっぱいしてあげるよ、志貴と二人で」
 アルクェイドが手を伸ばし、秋葉の細い首を撫でる。頬に添えて更に登り、耳朶をくすぐる。
 ぞくり、と性感が突き抜ける。
「そうしないと、わたし、妹を追い出して志貴とえっちしちゃうよ? 妹はそれを想像しながらベッドで自分でする方が良いの?」
「それは嫌……」
 このまま部屋に戻ったらそうしてしまうのは間違い無かったから、図星を突かれて泣きそうになる。
「そうか、そういうことしていたんだ、秋葉」
 揶揄されて、そちらを否定するべきだったのだを気付く。否定したかった。でも、志貴の口調は確信していて、今さら言い訳も立ちそうにない。
「しちゃうよね? わたしだって、ここに志貴が居なくて帰ったときは、妹とかメイドさん達とかが志貴に可愛がって貰ってるところ想像して、しちゃうもの」
 顔をあげて、秋葉はアルクェイドを見つめた。目の前の女性に反発するのは、恋敵だからだし、そのくせ憧憬を禁じ得ないからなのだ。どうしたって敵わないと思ってしまう。そのアルクェイドが、自分と同じように、悋気に焼ける身を慰めることがあると言う。
「ね? わたし達にそんなことさせる悪い人は、志貴だよ」
 耳から流し込まれる毒。そう、こんな想いをさせされる元凶は、恋敵なのではなくて、爛れた関係を続ける志貴なのだ。次第に、そんな風に思う。
「人聞きが悪いなあ、俺はちゃんと秋葉もアルクェイドもみんな愛してるじゃないか」
 反対側の耳に囁かれる。手が胸に触れて、先程愛撫された乳首を刺激される。いつの間にかアルクェイドにも同じことをされていた。
「兄さんは、そうしたいのですか?」
 イエスと言って欲しい。そうすれば、不埒な振る舞いにも申し訳が立つ。
「ふふふ……」
 耳に息を入れるように笑う。
「したいな。二人には仲良くして欲しいし、二人とも思いっきり気持ち良くしてあげたい。それに、俺は悪い人らしいからね、秋葉とアルクェイドを全身隅々までじっくり比べてやりたいな」
 嫉妬を煽る悪辣な恋人の言葉も、それが肯定であるという一点で福音だった。
「なら……そうすることを、認めましょう」
 言葉尻のおかしさを指摘することもなく、志貴とアルクェイドは二人でこっそり笑った。
「決まり? じゃあ、まずは妹から気持ち良くしてあげるね?」
 言うが早いか、アルクェイドは秋葉に口付けていた。
 仄明るい部屋のベッドの上、アルクェイドの紅い唇が秋葉の桃色の唇を啄む。まだ眼を丸くしている秋葉を余所に、上唇を舌先で辿り、中に入り込む。唇の裏と歯茎を丹念に舐めていく。
 秋葉が我に返ったのは、熱い接吻の快楽のせいだった。
 控え目に志貴が背中から体を支えてくれていて、両手が胸にあり、親指と中指で乳首を摘んで人差し指で転がしている。その快感に声を上げようにも、口はアルクェイドに塞がれている。
 今度は下唇を挟まれ、舌が同じように辿り、口内に浸入してこちらも歯茎確かめていく。アルクェイドの舌が、秋葉の舌の裏側に潜る。柔らかな粘膜を細かくなぞる。
 あれ……?
 不思議だった。
 受け容れたとは言え、初めの瞬間は違和感や抵抗を覚えていたのだ。そのはずなのに、あっさりと快感に堕ちている。そんなにも自分は、ふしだらなのか。少し恥じて、でもすぐに別の感情を見つける。単純に、アルクェイドのキスに喜び以上に心を安らげていたのだ。
 恋敵であろうと、吸血鬼であろうと関係なく、ただ美しい女性として受け容れた。同性同士でキスしていることも、既に何でもなく思えた。志貴の唇や舌よりもずっと柔かくて、甘い気がした。
 指使いが変わったのか、胸の突起に受ける快感も鋭くなる。志貴に抱き留められているのを思い出し、それが安堵を覚える理由だろうかと考える。
 秋葉は自らも舌を突き出し、鬩ぎ合う。アルクェイドの口の中まで攻め入って、そっくりお返しするように、唇を歯茎を舐める。頭を抱き合って、互いに指で首や耳やを愛撫し合う。口に溜まった唾液を舌で押し出し、相手の方に送る。しばらくすると押し返されて戻ってくる。
 こくん。
 先に飲み込んだのは、秋葉だった。どろりとした生暖かい液体が喉に流れて行く、その感触まで心地良くて、体の内側まで愛撫されている錯覚がする。
 それからまた、同じぐらいに唾が溜まるまで口を吸い合っていた。途中で、さっきからの疑問に答えを見つけた。
 こくん。
 今度はアルクェイドが飲み込んで、それが終止符のように二人は離れ、抱き合って甘い息を吐く。
「妹、キス上手いー。気持ち良過ぎー」
 アルクェイドが囁く。自分と同じ想いだったのが、秋葉には嬉しくも意外だった。
「そちらこそ、でも、不思議。アルクェイドさん、キスの仕方が兄さんそっくり」
 余韻に酔いながら、秋葉も囁いた。だから、落ち着いて居られたのだ。
 アルクェイドがもう一度唇をくっつける。触れては離れ、ぺろんと舐めては逃げる。
「あん……もっと……」
 にっこりと笑い、金髪の美女は黒髪の少女の願いに応え、先ほどの熱いベーゼを再現する。
 秋葉には、何とも不思議だった。再び、口付けている相手が何者であるのか認識する。憎いはずの人なのに、キスは優しくて気持ち良い。相変わらず胸は志貴に攻められているし、アルクェイドは両手で首や頭を撫ででくれる。しなやかな指は秋葉の啼き所を次々に捕らえて行く。
 ぺちゅっ
 唇を離したとき、間に露が糸を引いていた。
「キス、好きなんだね」
 突き出した秋葉の舌を朱い唇が包み、口を大きく開かせて届くだけ奥まで含む。それから緩やかに引いて舌の先端を唇に挟むところまで進んだ。また根元の方へ。何度も何度も繰り返した後、役割を逆転する。秋葉の清楚な口唇が艶めかしい舌を咥え、愛撫する。それが、男根を口で愛する仕草そのものであるのに気付いて、また含羞に震える。
 最後に音を立てて、アルクェイドは唾を吸い取った。少し上に移って近付き、少女は額に接吻される。それから、その口を耳に寄せてきた。
 タイミングを計ったように、後から志貴が反対側の耳に口を付ける。二人で同時に静かに息を掛けられ、逃げられず身を反らせて震える。
「さっき、妹はわたしのキスが志貴そっくりって言ったけど」
 アルクェイドが話すにつけて、唇に耳朶を愛撫される。もう一方の耳は志貴に甘く噛まれている。
「妹のキスも、志貴がするのと同じだよ?」
 え……?
「兄さんと同じキス?」
 うん、とアルクェイドは笑う。
「だから、すっごく気持ち良いよ?」
 相手が、同じように悦んでくれているのが嬉しい。同じように、安らかな気持ちで口付けてくれていたのなら、幸せだ。
「二人とも、俺みたいなキスなのか?」
 志貴が耳を愛撫して言う。面白がっている調子で、確かに秋葉にも不思議だった。
「何故だか、判る?」
 美しき姫は、令嬢に問いかける。
「判りません」
 答えを知っているかのような質問に、自分には応えられないのが悔しいと言うよりは哀しい。
「妹、志貴以外の人とキスしたことある?」
「ありません、そんなこと」
 即答して、思い至った。志貴とだけ、頻繁に口付けを交わし続けているのだから、やり方を刻まれていても何も不思議は無い。そんな女二人が唇を重ねれば、同じ男の名残を感じるのは当たり前なのかも知れない。
「そういうことだろうね」
 唇をまた啄ばむ。
「こんどは志貴がしてあげて」
 言われて秋葉をシーツに横たえ、志貴は口を吸いはじめる。上下の唇を順に挟み込む。歯茎を順に舐める。舌の裏側に潜り込む。ほんとうに、さっきのアルクェイドのキスは志貴のやり方を踏襲していたのが確かめられる。
 気持ち良い。アルクェイドさんより少しだけ強めなのかな?
 薄く眼を開けて、ピントは合わないながらも、愛しい兄の顔を見る。複製できるほどアルクェイドともこのキスをしているのだと思うと、もっともっとして欲しくなる。自分も同じようにコピーできているのだと思うと、何か誇らしい。
 もうちょっとだけ、していたい。ちょうどそんなタイミングで志貴は離れてしまう。秋葉の額に手を置いたまま、目の前でアルクェイドにキスした。
 ちょん、とだけ唇を触れ合わせ、二人で幸福に笑うのを見て、秋葉は嫉妬して唇を噛む。志貴の手は額を以外に強く押えていた。両腕もいつの間にか押えられていた。
「うふ、志貴、好きっ」
「ふふふ」
 それだけ言い合って、またキスする。今度は熱くて長い。舌が絡み合って水音を立てている。外から見ていて、今どんなことをしているのか秋葉にも想像が付く。感触を反芻して楽しんでしまい、自慰した時のように、表層は快感に融けつつ深部で凍てつく。快楽に蕩けていくアルクェイドの表情に、自分もこんな顔をしていたんだろうって思った。
 時々、薄く目を開いては恋敵は斜めに視線を秋葉に送る。
 うらやましい? 妹も、もっとしたい?
 そんなことを言っている眼だった。実際、もうちょっとしていたかったのに逃がしてしまったのだ。
「兄さん」
 それだけ呟いて、待つ。それだけで判って欲しいという甘えだけど、まさに甘えたいのだ。
 二人は秋葉の顔を並んで見下ろし、アルクェイドがそっと手を当てて秋葉の眼を塞いだ。
「大丈夫」
 兄の声を聞いて、意図は測れないままながらも信頼した。そこへ、ほんの一秒だけ唇に柔らかな感触を覚える。
「ふふっ」
 女の声で笑いが聞こえた。続いてまたキスされる。今度は長くて、たっぷりと舌も使ってくれる。流し込まれる唾液を飲む。視界を塞がれているだけ、他の感覚に集中できる。
 仄かな石鹸の香り。見知らぬ花の匂いは、アルクェイドの香水かシャンプーだろうか。
「ふふふっ」
 今度は男の笑い。
 首筋をさわさわと何か掠める。視界を奪われて触覚も鋭敏になっているのか、それだけでも快美な漣が立つ。花の匂いが強くなった。ならば、来客の髪が肌をくすぐっているのだろう。
「ねえ、今キスしてたの、わたしと志貴とどっちだった?」
「……え?」
 終わってから訊かれて、秋葉は答えられなかった。思い出してみて、判らなかったのだ。髪の感触のことを思えばアルクェイドだろうが、あれは途中からだったから、混乱させようと悪戯したのかも知れない。
 また吸い付かれる。
 この強さは兄さん? でも、この甘い感じはアルクェイドさんみたい。でも、やっぱり兄さんの方が私の弱い所を判ってるみたいだし。でも、兄さんより動きがちょっとだけ遠慮がちな気もするのは、アルクェイドさんなのかな……でも……
 いくら考えても、決められなかった。
 柔かく甘い口付け。すぐに離れようとする意地悪なキス。吸い付いて貪るような熱い接吻。よくぞこれだけと思うほど多彩で、ただただ思考は融けていく。
 そして、どちらにされているのか、それは混乱する一方だった。接吻そのものは、気持ち良くて、春の木漏れ日にまどろむように心安らぐ。だけど、想い人と恋敵のキスが判別できないなんて情けなくなる。
「どっちだと思ってるのかな、秋葉は」
 ちゅ、ぺちゅ、くちゅっ
 返答できずにいると、口付ける音だけが聞こえて来る。またアルクェイドと志貴がしているのだ。
 ベッドが揺れ、二人が身じろいだのが判る。
「面白いね、妹、わたしと志貴と区別出来ないみたいだよ」
 聞こえてすぐ、口を塞がれる。さっきまでアルクェイドの居た方の耳に息が掛かる。でも、移動したのかも知れない。
 短いキスが終わって、今度は口に指を入れられた。甘噛みして、指先を舐める。両耳を同時に噛まれる。舌先が耳朶の形を探るように動き回る。
 ぴちゃ、ちゅっ
 両耳で舌が粘ついた旋律を奏でる。片方の耳孔から何か流し込まれて、それに頭の中身を溶かされて反対側の耳から吸い出させている、そんな幻想。
「ふあ……ん……ぁン」
 自分は啼かされているのに、二人は声を出さないから、どちらがどちらなのか秋葉にはやっぱり判らない。
「アルクェイドだったら俺と秋葉を判別出来るかな?」
 ようやく志貴が話したのは、愛撫を止めてからだった。
「判るよーっ。志貴のこと愛してるもん」
 ちゅっ。
 顔のすぐ傍で口付ける気配。顔に垂れた髪が揺れて、肌を撫でる。屋敷で使っている石鹸の匂いとアルクェイドの香りが混ざっている。見せられていたら、もっと嫉妬したのだろうが、見えないせいで妄想めいた映像が駆けめぐる。
 こくん。
 どちらかが唾を飲み込んで、喉が鳴った。
「兄さんっ」
 ほとんど悲鳴。私だって愛してます、と叫びそうになり、私こそ愛しているのだと思い直す。でも、あれほど交わして来たはずの唇の区別さえ付けられないのだ。確かめてもいないのに、本当にアルクェイドには自分と兄のキスを言い当てられそうに思ってしまう。証明されるのが怖くて、試させる気になれない。
 左右の頬にやわらかい物が触れた。そこから口元に寄って行き、唇に届く。二人共から、順に少しずつ唾液を入れられる。恐らくは二人のが混ざったもの。
 数秒のキスを何度も何度も繰り返される。果てしなく歓びに溺れて行きながら、やっぱり二人のどちらにされているのか答えられない。
「最後のチャンスよ」
 声が聞こえて、たっぷりと吸われた。
 今度こそ。そう思って意識を研ぎ澄ます。
 唇を挟む力……優しい。
 匂い……官能。
 絡んでくる舌の表面のざらつき具合……ゾクってする。
 息を継ぐタイミング……本当に苦しくなる少し手前。
 吸う時の強さ……溶けそう。
 唾液の味……好き。
 ぬくもり……甘い。
 舌で押し合って……負ける。
 唇の滑らかさ……熱い。
 歯茎を辿る動き……意地悪。
 今、目の前にある顔は……判らない……
 ひとつずつ全部検証できるほど兄とは口付けを繰り返して来たはず。それなのに、やっぱり、判らなかった。
 喉に落ちる雫……くすぐったい……舌を歯で挟まれて……怖くないよ? 舌の裏を突つかれて……もっと……離れてしまう……駄目……戻ってくる……うん……上顎まで舐められて……もっとしてっ……食べられてる……私は美味しい? 心まで獲られそう……素敵……下唇に噛み付かれる……もっとっ! 兄さんは……愛してる……アルクェイドは……好き……? 今、私をこんなにしているのは……判らない……
 キスだけで達してしまいそうな悦楽。それでも、やがて離れて行き、それ以上確認する機会は失われる。
 額を押える手と、目を塞ぐ手が退けられ、並んで笑う志貴とアルクェイドの顔が目に入る。
「どっちだったんですか? 最後の」
 悔しくも、寂しくも思いながら、秋葉は尋ねる。
 にんまりとアルクェイドが笑い、ちゅっと一瞬だけキスして、また耳に向かって囁く。
「お・し・え・て、あ・げ・な・いっ」
「そんなっ」
「良いじゃないか、気持ち良かったんだろ?」
「そうです、けど」
 意地悪に、拗ねる。酷く不安。秋葉には、これが自分と志貴との絆の弱さ、兄とアルクェイドの絆の強さに思えた。だから、教えてもらっても解決にはならないのだけれど、せめて答えは欲しかった。
「そんなこと忘れられるぐらい、気持ち良くしてあげる」

 

Round 1 へ

・Warm-up 了

 


このサイトには珍しく状況はハーレム気味ですw
warm-upと言う通り、まだキスしかしてないようなところですし、続きは割合に近いうちに載せられると思います。

草紙 に戻る

©Syunsuke