愛し合えないなら、殺しあえば良い。
与え合えないなら、奪い合えば良い。

幕間の戯れ


/prelude

 足元にまで届く鮮やかな色の髪をなびかせ、月光に照らされているにも関わらず、佇む人影は夜よりも暗い気配を纏っていた。
 深夜、穂群原学園の学舎の屋上。
 俯いて静止していた女は、垂らしていた右腕を静かに曲げる。体の線の露わで黒い衣服は腋の高さから上には布地が無い。僅かに深い谷間が覗く胸元にまで上がった手には、短剣の体裁は取りながらも杭と呼ぶ方が相応しい凶悪な武器が握られていた。柄の端から鎖が延び、手首に掛けられた鋼の円環につながっている。鎖が揺れるが、奇妙にも音をたてない。
「勘が良いな。しかし、この物騒な結界を作ったのがサーヴァントの方で、それもあんたみたいな美人とはね」
 後ろから掛けられた声の主はまだ離れていると判断し、女は一息に振り向く。下げたままの左手にも鉄杭が現われていた。
 屋上の反対側に立つ男は、女の顔が半分まで仮面に覆われているのを見て軽口を叩く。
「美人に違いないと思うんだが」
 青い衣装が体に張り付き、誇示するのではなく、単に事実として示すように鍛えられた筋肉を見せつけている。のんびりとした足取りで女の方に歩き始めた。
「貴方ですか? 妨害したのは」
 穏やかに答えつつ、女も足を進める。
「いいや。邪魔する気なら完全に壊してるよ、オレならね」
 知人に挨拶しに行く気安さで距離が詰まり、数メートル開けて女は止まる。応じて、男も立ち止まった。
「ここがそっちの間合いって訳だ」
 女は答えない。
「結界の目的を教えてくれると嬉しいんだが」
 口調だけは穏やかに語りながら、語らねば手段は選ばないと気配が告げていた。
「物騒と評したのなら、お判りなのでしょう?」
 無言の脅しを受け流し、ただ微笑んでみせる。
「ふん。せめてクラスでも名乗ってくれると穏便に済ます気にもなるんだが」
 殺気を隠すのを止め、むしろ打ち付ける。それでも、女は口元だけでアルカイックに笑うのみ。
「仕方ねえな。じゃ、せめて、お近づきの印に」
 青衣の男が小さく手振り一つすると、二メートルばかりの朱い槍が現れる。
「一槍、馳走!」
 無造作に踏み込み、電光が女を襲う。
 ギンッ
 女の左手の杭が穂先を払い、同時に右手から棘が飛んだ。男の突きに比すれば如何にも遅く、悠々と払われてしまう。ただ、尾に引く鎖がのたうって更に男を襲った。
「ちっ」
 これもまた、槍兵には怖れるに足りない。槍を回して打ち退ける。
 ぶんっ
 鈍い音を耳にして、男が身を躱す。女の左手から鎖が飛来していた。剣を手にしいて円環を振り回している。刃が無くとも、質量と速度だけで充分に必殺の威力はあろう。
 命中するならば。
 男にとって脅威にはならない。凶器が二対一であろうと、鎖など如何程にも速く振り回せるものでは無く一つ一つ打ち返すのは造作も無い。
「ふふ」
 小さく女が笑い、動きを変えた。
「無駄だっ」
 言って、やはり難なく受けつつも、面倒にはなった。女は先端の針や分銅だけではなく鎖全体を存分に使っている。棘を払われても鎖の尾が伸び上がって男を撃とうとする。槍に絡み付いて動きを鈍らせる。鎖を直接弾こうとすれば、柄を支点に軌跡を変え、螺旋を描いて二度、三度と迫る。
 奇妙だった。鎖分銅の類は大きく振り回してこその武具である。それ故に、一撃の威力に優れ防ぐに難しくとも、手数に劣り動きは読みやすい。それが、違っていた。
 女の振るう鎖は常に二人の間に位置している。小さな手の動きだけで即座に軌跡を変え、自在に男を襲う。弧を描いて振るわれる鎖の先に刺突しか能の無い凶器を付けるなど馬鹿げているが、これも問題では無かった。扇型の死を作るには質量があれば良い。事実、足を払い首を撃ち据えようと言う時には金棒のように使われている。しかし、同時に奇怪にも先端が的確に男を狙って飛来するのだ。
 男の首を、眼を、心臓を刺そうとする動きがある。大きく回って来ながら、先端だけが真っ直ぐに狙いを定めていた。
 鉄輪の動きも奇態だった。一点で繋がれているだけの輪が、しばしば丸い形で襲い来る。突き払おうとする槍を内に捕らえ、動きを殺そうとする。意思あるとしか思えぬ仕草で絡みつき、小賢しく手数を浪費させる。
 その動きは、二匹の大蛇に似ていた。
「くくっ」
 それでも、男は押していた。
 閃光の突きは蛇を無駄に踊らせ、蛇使いの体を貫かんとする。その度に女は飛び去って逃れる。僅かに長い鎖の間合いに戻り、鋼の音を調に二人舞が再開する。既に幾たびも繰り返していた。
「はっ」
 男がまた神速の突きを見舞い、女は飛び退いて躱す。
 ちっ
 男は苛立ち始める。女の体術がまた不可思議なのだ。無意味に突撃をしているわけは無く、相手の虚を狙い、姿勢を崩し、追いつめてチェックメイトの攻撃を放っている。にも関わらず、およそどんな体勢にあっても遜色なく女は逃げた。同じ瞬間に普段通りの打撃が繰り出され、追撃が阻まれる。
 その動きは槍兵に、人馬一体の境地にある騎兵を思わせた。騎手の指示を待つことなく意を汲んで自在に駆ける戦馬と、騎馬がどのように走ろうと狼狽無く武器を振るう戦士。
「ライダーか」
 騎乗していなくても、戦闘のスタイルは騎兵そのものだった。
 女が大きく間を取った。槍兵が身構えた瞬間、先までの二倍の距離を刺剣が翔けた。二本の鎖が繋がり、先端が男の首を狙っていた。
 意外を突かれはしたが、慌てず打ち落とす。鎖が鞭となって迫るも、難なく止める。
 一瞬、男は敵の姿を見失い、今の一撃が眼くらましだったと悟る。しかし、伸びた鎖の先を追ってすぐに見つける。女は跳躍していた。
「馬鹿が」
 男は急流を遡る鮭のように跳ねる。鎖の渦を潜って繰り出された朱槍が女を串刺さんとした。
「くっ」
 辛くも身を捩って躱し、硬い足場のように己の鎖を蹴って翻る。淡い紫の髪が華を咲かせつつ、斬られて飛び散った。
 着地した位置は屋上の端。躊躇無く柵を飛び越えて追撃を避ける。即座に続いた男は真下から迎撃されることになった。女は壁沿いに静止していたのだ。
 避け切ったのは、磨き上げられた戦士の本能。
 落下する男を追って女は刺突を繰り出し、掠めるも有効な打撃には遠い。鎖の半ばを持って投網を掛けるように四方から襲うも、男が宙返りながら放った蹴りを喰らう。弾かれて、二人は離れた位置に降り立つ。
 僅かに先に着地していた男は既に突きを放っていた。飛び退りつつ受け流し、槍を絡め捕ろうと鎖を掛ける。構わず男は弾丸のような連打を放った。屋上より広くなったアリーナで、次々と飛び跳ねて死の空間から逃れていく。その間にさえ鎖は槍を捕ろうと暴れていた。
 これも手綱のようなものか、と男は思う。女の動きは、武器を振り回すと言うよりは猛獣を遣っているのに近かった。
 自分の武器を奪おうとするのを見て、男は罠を仕掛けた。わざと緩慢に、それでも常人の視認など到底なわぬ速さだが、突きを打つ。果たして、女は鎖を掛けようとする。己の槍の柄に沿い、跳び掛かって獲物に食らい付くように蹴りを放った。
 虚を突かれながら、それでも鉄杭で受けようとするも、女は側頭を打たれて仰け反る。
 着地して、残る勢いを乗せてもう一発打ち付けようとした脚を、屈んだ姿勢で掴み止めた。
「がぁーっ」
 立ち上がり、叫びを上げつつ、一本釣りの動作で男の体躯を振り回し、地面に叩きつける。異常な怪力だった。
「ぐがっ」
 女は姿勢を取り戻し、もう一度男を脚で振り回し、半円を描いて大地に打ち据えようとする。
 しかし、男が踵を脳天に振り下ろした。女の力が萎え、男は自由になる。
「魔物だな、あんた」
 全身の打撲に少しだけ顔を顰めながらも槍を拾い上げた瞬間に、女も剣を取り戻しており、即座に突きが来た。突き返しが女の腹に入る。無理な体勢からの一撃だが、存分に突いた。サーヴァント相手でも充分に致命傷であろう。
 それが、石突で放ったのではなく、矛先であったのなら。
 その点において、女には運があった。逆向きに槍が落ちていたら勝負が付いていただろうから。
 鈍器とは言え腹を強かに突かれながらも、女は反撃の手を出す。御された鎖が鎌首をもたげ、二本の棘と二つの輪が旋風を成す。男に一歩引かせて、女は姿勢を立て直した。
「やっ」
 鎖を投げ放つ。中央で絡んで十字になった鎖の一端を手にしており、残りが三方から同時に槍兵を襲う。
「ふっ」
 しかし、接点への落ち着き払った一撃が勢いを殺ぎ、意味を成さなくなる。
「芸達者だな」
 間を取って男が言う。
「決め手に欠けると言うことです。貴方の突き一つに敵わないのですから」
 悔しがる様子も無く、淡々と女が口にする。
「そうかい? じゃあ、終わりにするか?」
 お茶にでも誘うような気安い言葉で、男は女に死を宣告する。
 一歩踏み込んで、ただ真っ直ぐに一つ神速の突き。一端硬化した大気が砕けて全て女に撃ち付けたような死と魔力の颶風。先程までとは速さの次元が違い、避けようにも穂先はひたすらに進み来た。打つ手無しと悟りつつも女は鎖を御す。
 男は槍を止めた。まだ己が死んでいないと気付いた女は更に鎖を操った。穂先を下げた男の首に、大きく一旋して迫る刺剣。正面から眼を狙ったもう一撃。動こうとしない男の命はあと瞬きの間もあるか。
 じゃらん
 音がして、鎖が地面に落ちる。大回りしていた杭が地面に突き刺さっている。
 真っ直ぐに飛んでいた棘は、男の眼前に静止していた。それは正しく静止であり、鎖だけが波打っても動じない。興味を引かれた男が掴もうと手を伸ばした途端、引き抜かれて女の手に戻る。
 目標を失った男の手は、おどけて不可視の壁など無いことを確かめてみせる。
「なんで止めた?」
 男が問うた。
「そちらこそ、なぜ槍を止めたのです?」
 先の殺気など何処に消えたか、ひょうげた調子で男は告げる。
「あんた、本気じゃなかっただろ?」
 言われて、女は首を傾げ、答える。
「私とて、己の技量や速さに自負はありますが、正面から単純に槍兵と打ち合って勝負になるとは思っていません。それは私の戦いではない。手を抜いていたと言うなら、貴方の方でしょう」
 聞いて、男は少し表情を緩めた。
「打ち合うばかりだったことを指して本気でないと言っているなら、それで済む程度にしか攻めて来なかったと言うことです。そちらこそ、何故加減などしていたのです?」
「決まってるさ。この性格も困ったもんだが、あんたみたいな良い女、殺す気にはなれなくてね」
 やれやれ、と言う仕草をしてみせる。
「ふふ、その嘘に納得したことにしておきましょう」
「それは助かる。で、問答無用に仕掛けといてなんだが、そっちが良いなら物騒なことは終わりにしたいんだが?」
「良いでしょう。助かるのは私の方でしょうし」
 そして二人とも、武器を納めた。

 

 

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