桜色の


 

 縁側に腰を下ろして見上げれば、春の月は朧に、晴れた夜空から地表まで光を通している。
 衛宮邸の庭にこそ無いが、街中の櫻が咲いていて、時折吹き抜ける風が匂いを残していく。
 無粋な蛍光灯を消して、月光の他に灯るは吊したオイルランプひとつ。
 黙り込んで月を睨んでいた士郎が表情を緩め、やっと、桜は声を掛ける機会を得た。
「どうかされたんですか? じっと見ていましたけど」
「あ、悪い、ちょっと他のこと考えてた」
 向き直る士郎の顔に、寂しげな表情の名残を桜は見て取る。士郎の感情には、人一倍敏感にならざるを得なかった。
 何を考えていたのですが、とは桜には問えなかった。しかし、きっとこちらも表情にでたんだろう。
「いや、親父が死んだとき、こんな風に月が綺麗だったなって思い出してた。あれは、春じゃなかったけど」
 黙ってしまえば問われないだろうが、答えた方が桜は嬉しいだろう。それが、父の死についてであれ。
「あ……。ごめんなさい」
 予期した反応だったから、士郎は既に手を伸ばしていた。桜の髪を撫で、さらさらとした髪の感触に、思わず手を止めかける。やっと踏みとどまって、肩に手を置く。こういうことを桜が喜んでくれると知ってはいるのだが、気合と切っ掛けなしには出来ない。
「良いよ、誕生日の桜と居るのに思い出すことでも無かったんだし」
 肩を抱かれただけで、桜は大げさに震えてしまいそうになる。嬉しいのだが、下手に反応すると勘違いした士郎が慌ててしまうと桜も既に心得ている。
 先輩に触れられて嫌だなんてこと、あり得ないのに。
「じゃ、先輩、もう一杯どうぞ」
 言いながら手にした杯を差し出す。士郎が受け取ると、櫻の花びらが数枚乗っていて、注がれた酒に浮かぶ。
 さっき桜が口を付けた杯で、今更、そんなことにも士郎はどきどきしてしまう。
「……先輩を酔わせてどうするつもりだ」
 馬鹿なことを言っていると思いながら、鼓動の速さをアルコールのせいにしたら、余計に激しくする羽目になった。
「ふふ……どうされたいんですか? 先輩は」
 知らず、肩が触れ合うほどに近付いていた。

 桜の誕生日に何をあげたら良いんだろう。士郎は、一月も前から延々とそれを悩んでいた。

「桜の喜びそうなものをご存じないのですか?」
 セイバーには何度と無く問い詰められているのだが、士郎は毎度答えを出せずにいる。桜が自分からそんな意志を示したことがあるのは、せいぜいがお菓子の類や食材ぐらいのものだ。美味しい甘味や料理を喜ぶことに疑いは無いが、それを誕生日のプレゼントにするわけにもいかない。
 他人の心を掴む贈り物、という観点では、セイバーは助けにはならなかった。そういう経験が無すぎたのだ。
「申し訳ありません、お役に立てずで……」
 そんなセイバーにイリヤが掛けた言葉は、励ましなのか揶揄なのか。
「しょうがないわよ、一人の女のハートを掴むのは、時として一つの国を治めるよりずっと難しいこともあるものなのよ?」
「その通りですね……。しかし、シロウが贈るものであれば、何であれサクラは喜ぶと思うのですが」
 確かに、桜は何であれちゃんと受け取ってくれるだろうと士郎も思っている。しかし、それに頼って、何でも良いなどと思うわけにはいかない。
 セイバーなら何が嬉しいかとの問いには、結局、士郎の料理が食べたいという所に落ち着いてしまう。
 それでも、僅かなヒントは見つけたように思ったのだ。

 

「食器洗い機でもあると良いですね、とは言ってたっけ」
 何せ、衛宮邸で食事をする人数は多い。料理当番が手間を惜しまないだけ、使う食器もかなりの数に上り、分担こそしているが毎度の片付けは一仕事だった。
「でも、それもバースデイプレゼントってものじゃないわねえ」
 頭を悩ます姿を楽しむように、イイ笑顔で凛に否定される。
「なんか、世の奥様方が微妙な思いをするパターンよ、それ」
「そんなものか?」
 奥様、の言葉に変に動揺しつつ問い返す。
「そうよ。嬉しくないってわけじゃないのよ、間違いなく便利なんだろうし。でも、なんだか食事係としか考えてないみたいでしょ?」
 むろん、士郎にそんなつもりはない。第一、一番の食事係は士郎本人なのだ。
 しかし、凛の言うことを理解はする。
「まあ、そんなものプレゼントにしちゃう旦那さん達だって、悪気も何も無いんでしょうけどね。考えが足りないだけ」
 自分も考えが足りないと言われているのだろうが、その通りだと思えたから士郎は抗わない。

 

「もう一本ぐらい包丁があれば良いなとかって話もあったけど、同じことだよなあ」
 桜のことをまるで知らなくて、士郎は恥ずかしく思った。
「でも、そういうのも贈り方ひとつってところはあるのよ? シロウ」
 相変わらずの調子で、イリヤにまで諭されてしまう。腿に跨って正面から覗き込まれると、イリヤが何をしていなくても、士郎は魅入られそうになる。
「贈り方?」
 できるだけ何気なくイリヤの体を押し離しつつ、助言を促す。
「そうよ。包丁より食器洗い機の話だけど、それを使えばシロウであれサクラであれ、片付けに掛かっていた時間が空くわけでしょう?」
 判る? っとばかりに指を立てる仕草は凛の真似らしい。
「うん」
 元より、そんな大した時間ではない。しかし、効果としては確実だろう。
「じゃ、その余った時間をこれからずっとサクラにあげれば良いのよ」
「余った時間を?」
 鸚鵡返しの士郎に、呆れたようにイリヤが応える。
「やっぱり鈍いのね。サクラが一番喜ぶのが何かなんて、判りきってるのに」
「いや、判ってるなら悩んでないだろう?」
「もう、判らないんだったら意味がないから、さっきのアイデアは無しっ。せいぜいもっと考えるのね」
「いや、イリヤ?」
 興味を無くしたように、イリヤは膝から降りてしまった。部屋を出て行く直前、振り向いて謎かけを残す。
「サクラが欲しいものって、わたしと同じよ、きっと」

 

「サクラの喜ぶものですか? ……士郎でしょう、それは」
 答えるライダーは、何を判りきったことを、と言う風情だった。
「いや、プレゼントの話なんだ」
「ええ、そのつもりでしたが」
 眼鏡の奥の魔眼は、今は穏やかに笑っている。しかし、からかって楽しんでいる調子も明らかだった。
「あははは、良いんじゃない? 衛宮くん。リボンだけ巻いて『プレゼントは、わ・た・し』なんてどう?」
「ばか、そんなこと出来るか、何の話だよそれ」
「決まってるでしょ、誕生日プレゼントの話よ」
 桜とライダーの親密なのは何の疑問にも思わないが、近頃、すっかり凛とライダーまで相棒のように通じ合っている。その上、あかいあくまが凛から桜にも取り憑いた挙げ句、ライダーにまで影響してる雰囲気だ。そういえば、イリヤも凛の真似したりしてた。
 恐るべきことに、士郎のまわりの女性は本当に凛に近付いているのかも知れない。
「では、士郎。桜に着せてみたい服装などと言うのは無いのですか?」
「ああ、それは良いかもね、ライダー」
 やっぱり、以心伝心とばかり話が通じ、凛が士郎より先に答えてしまう。
「服装? って、いや、だから俺の希望じゃなくてさ、桜の誕生日なんだから」
 やっぱり、士郎には伝わらない。
「いえ、いつか私を連れて行って下さったように、桜と買い物に行けば良いのではないですか?」
 言われて、士郎はライダーと二人で新都に出掛けたことを思い出す。途端に脳裏に浮かぶのは、ライダーが次々に試着して見せてくれた、色取り取りの艶やかな花。いや、花じゃないけど、あまりはっきり思い出すと今更ながら危険。
「いや、それは……駄目だ。絶対駄目だ」
 艶やかさなら、ライダーに劣ることはあるまい。その上、最終的にライダーは士郎の失態をフォローしてくれたけど、桜だと単純に傷つけてしまいそうだ。
「困りましたね。しかし、イリヤスフィールの言ったことは間違っては居ないと思います」
「あれって、どういう意味なんだ?」
 縋る思いで尋ねるも、あかいあくまに阻まれる。
「駄目よライダー、答えを言っちゃ」
「ええ。しっかり考えて下さい、士郎」
 当然とばかり、謎の解は貰えなかった。

 

「間桐のお嬢さんにプレゼント? この裏切りの魔女に恋の相談だなんて、ずいぶんなユーモア感覚の持ち主ね、坊や」
「いや、そう言うつもりは……」
 キャスターにまで尋ねたのは、スーパーで偶々顔を会わせたからだった。思いの他まともに取り合ってくれたのは、買い物の助言をしてやれたからだろうか。
「神代から、恋とはままならないものなのよ」
 メディアという女の神話を知っていれば、その言葉の重みも増すというもの。その現状の新妻っぷりからは全く伺えないにしても。
「魔術で人の心を掴むことなら、難しいとは言えない。桜さんの心を読み取って、喜ぶものが何かを知るだけで良いなら、すぐにも出来るわ。でも、魔術でそれを成したと知っていては、他ならぬ坊や自身が納得しないでしょう?」
「ああ、当然だ」
 あまり愉快な内容ではない言葉に士郎は表情を固くし、キャスターもそれを読み取ったようだ。
「と、ごめんなさいね、元より、そんなことを頼みに来たわけではなかったわね。でも、良い言葉があるわ」
 悪意は感じられず、稀代の魔術師の顔は真摯。それだけに、士郎は続く言葉を真剣に待った。
「『恋は魔法』よ」
 だから、その口から零れた言葉は、士郎の不意を撃つに充分なものだった。
 キャスターの意を量れず、士郎は黙り込む。
 笑えば良いのやら、怒れば良いのやら。
「馬鹿にしてるんじゃないのよ。どうやっても思い通りにならないって点だけを見れば、事実として魔法にも近いわ。もちろん、学問肌の魔術師は歯牙にもかけないでしょうけど」
「しかし、そう言われたって」
「考えなさいな。『恋の魔法』ではなく、『恋は魔法』よ。もし私が坊やの……いえ、私が宗一郎様に貰って嬉しいものは、やっぱり同じだと思うわよ?」
「……なんか、訊いた人、訊いた人みんなに似たようなこと言われてるな」
「あら、良かったじゃない、それなら。考えることが一つで良いんだから」

 

「間桐が欲しいもの? それ、衛宮が知らないのにあたしが知ってると思うのか?」
 どうにも決まらず、弓道部で接触の多い美綴なら何か教えちゃくれないかと頼った士郎だが、やはり答えは素っ気なかった。
「己の通い妻が何を喜ぶかも判らないなんて、難儀なやつだね衛宮も」
「通い妻って何だよ」
「あはは、じゃあフィアンセとでも言おうか?」
「何でさ?」
 フィアンセ、なんて言葉が古くさい少女漫画の他で使われるのを聞いたのは、たぶん士郎には初めてだった。美綴が、この姐御っぷりとは裏腹に少女趣味だとは遠坂に聞いているが、未だに士郎の中では結びつかない。
「良いじゃないか、間桐もあれでしっかり武人の気構えもある方だけど、ちゃんと女の子してるだろう?」
 その点なら士郎にも異論は無い。むしろ、弓道部での姿をあまり見ていないぶん、武人の気構えがある方だなんて美綴に言わせる桜を頼もしくも意外に思った。知っているつもりで、何も知らない。
 そう、プレゼントに何が良いのか、そんなことが判らなくて頭を悩ませている。
「悩んでるねえ。衛宮、いっそ指輪でも渡してホントにフィアンセにしてしまうってのはどうだ?」
「ばか、そんなこと出来るかっ」
「そうか? 海の見える丘の上の小さなチャペルで結婚式、なんて良さそうじゃないかっ」
 腹を抱える勢いで笑うばかりで、まともに助言などくれそうになかった。
 いい加減士郎もちょっと腹を立て、もう良い、と去りかける。
「真面目な話……」
 途端に、美綴は笑いを引っ込めた。
「間桐を通い妻とかフィアンセとか呼んだら、嫌がると思うか?」
 問われて士郎は答えに窮する。
「誕生日にプレゼントって、何もモノばっかり……」
 黙ったままの士郎に話を続けるところだったのだが、
「おやアヤコ、相変わらず美しい」
「ちょ、ライダーさんっ?」
 いきなり現れた天敵に、親友と後輩との惚気話どころではなくなってしまった。
「ふふ、何やらフィアンセや何やと素敵な話をされていましたね?」
「い、いつからっ?」
「アヤコにウェディングドレスはさぞかし似合うのでしょうね? この前ヴェルデでご覧になっていたような愛らしい服装も良かったですが、大人っぽい姿もまた……」
 ひょいひょいと関節を押さえ込む。まだ自由の利く部分で思い切り押しても引いても、ライダーはビクともしない。
「ちょっ、衛宮、助けろっ!」
「ふふ、いけませんよアヤコ、せっかく士郎が考えている途中で答えを教えようとなんてしては……」

 

「桜ちゃんにプレゼント? うーん、やっぱりお姉ちゃんも、遠坂さんやイリヤちゃんやライダーさんやに賛成ね」
「賛成って、遠坂もイリヤもライダーも、何にも言ってくれてないんだけど」
 昔から桜を知っているという点では、藤ねえは士郎と変わりない。もっと早くこっちに訊けば良かったかと思ったのだが、やっぱりストレートに答えてはくれなかった。
「だから、それに賛成。世の中、学校の勉強みたいに答えが何処かに載ってることばかりじゃないのよ?」
「いや、ばっちり解答ってのでなくても、ヒントぐらいさ?」
「士郎、ヒントだったらみんなくれてるじゃない。ほとんど答えよ?」
 偉そうな調子は気に食わないのだが、士郎も、藤村が嘘を言っているとは感じなかった。こんなときまでふざける人でもないのだ、茶化すことや意図せずボケることはあったとしても。
「よーし、わたしは他の女の子たちと一緒に桜ちゃんにとっておきのプレゼントするから、士郎はせいぜい考えなさいっ」



 桜に手を握られて、その体温と柔らかさに熱くなって、鎮めようと杯に口を付けた。

 昼間の花見への雷画からの差し入れだが、藤ねえがちゃんと先生をしていた上、忙しくて飲めなかったのだ。桜の誕生日祝いのはずだったのに、いつの間にやら単なる花見と化して参加者が膨れ上がった。結果、士郎と桜は料理や他人の世話に終始してしまった。
 それを苦にする二人でも無く、沢山人が集まってくれたことを喜んでも居た。それに、桜へのプレゼントと祝福ならば、ちゃんと皆用意していた。
 そこで、女性陣から連名で、という贈り物の目録を桜が受け取っていたのだが、士郎はその内容を知らない。士郎は、最後には諦めて口紅など贈りはしたのが――――とてもじゃないが、これが相談した女性たちを満足させるものだとは思えない。むしろ、駄目だと確信できてしまう。
 それでも、やっぱり桜は凄く喜んでくれたのだけれど。

 そんな宴の後、何故かみんな早々に引き上げてしまい、今は桜と二人。
 杯の液面に浮かぶ花びらが、冷や酒と一緒に口に入る。仄かに、香る。
「良い匂いだな、さくら」
 何気なく、口に出た。
「あ、判りますか?」
「え?」
 思わず、見つめ合う。さっきから、知らず知らず結構な数の杯を交わしていた。互いに、相手の目がぼやけているのは見て取りつつ、まだ自分は大丈夫だと思っている。
 そして、桜が先に気付いた。
「あ、その櫻ですね」
「そのって……あ……」
 目の前の女の子は、桜という名前だ。そんなこと、わざわざ意識に登らない。たとえ、現に名を呼びながらでも。
「姉さんに、香水を貰ったんです。判りますか?」
 向き合ったまま、士郎は鼻で息を吸ってみる。しかし、はっきりとは感じられない。
「ふふ、ほんの少ししか着けてないですから、もう少し近付いて下さらないと。首のあたりです」
「近付く……って」
 これ以上そばに寄るなんて、もう抱き合うのと変わらない距離だ。
 意を決する思いで、桜の頭を抱くように顔を寄せる。それでようやく、夜風に漂う櫻の花の匂いとは違う、甘い桜の香りが感じられた。ほのかに、だけど存分に士郎の官能を掻き起こす甘美な芳香。
「どうですか? 先輩」
「……うん、良い匂いだ」
 それだけ答えるのが士郎には精一杯。どうしたって、桜の息が掛かる。体温まで感じられる。鼓動さえ聞こえてしまいそうだ。
「さっき先輩、さくらを飲み込んじゃいましたね」
 柔らかな息が、士郎の耳を撫でる。
「いや、桜、その発音だと……」
 ぎゅっ。
 罠が閉じるように、桜は士郎を捕まえた。また正面から、見詰めあう。
「ふふ……せっかく貰ったプレゼント、ちゃんと受け取りますから」
「桜……」
「ほら、先輩の口紅、ちゃんと付けてますし……。少し、お返しです」
 言うが早いか、桜色のルージュに染めた唇を士郎に重ねる。
 その甘さに、酒精に惚けた頭が醒める。

 ――――この夜、衛宮邸には士郎と桜の二人きり。そんな時間こそがが、何にも代えがたいプレゼント。

 だけどすぐにまた、蕩けた。
 そのまま、愛しい後輩の体を抱きしめた。

/桜色の・了

 


 

 Fate/Zero 二巻にて桜と凛の誕生日が公表されまして(凛が2月4日、桜が4月2日)、ほとんどタイムトライアルでしたが、内容はともかく、まあ何とか期日だけは。何故か色んな人・サーヴァントが居ますが、ルートとかは気にしていません。
  桜の誕生日SSのわりに桜の出演がわずかですが、その点はご容赦願いたく^^; あと、流石に「この後」まで書く時間は無く……っっ(まあ、無いほうが落ち着くようにも思いますね)。

  ……しかし。
 凛が二月四日生まれ → その年の四月一日生まれまでが同学年
→ その年の四月二日から翌年の四月一日生まれまでが一年下の学年
→ 翌年の四月二日生まれは二年下……のハズ……? アレ?

 
(これを「実用」する人もあまりいないとは思いますが、フォームが共通なので項目はありますw;)

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