「ハッピーバースデイトゥーユー、はっぴーばーすでい、でぃあ、あきは、」
 閉め切って、琥珀さんとかに聴かれていないのを確かめて、歌った。こんな単純な歌でも、ちゃんと歌おうとしたら練習せずにはいられなかった。
 相手が秋葉となると、話すだけでも大変なんだ。毎日顔は会わせているけどさ。

プレゼントは、未来


 会えなかった八年の間、俺は一度でも秋葉の誕生日なんてものを思い出したのかを考えてみて、改めて愕然とした。初めの年には覚えていたつもりだけど、それでも手紙ひとつ書かなかった。お祝いとなると、何もしていない。
 遠野の屋敷に戻って来て一年足らず、今回おめでとうって初めて言ってやれる。ただ、プレゼントのひとつもしたいところなのに、アイデアが浮かばなかった。
 浪費する秋葉じゃないけど、不自由無く暮して来たはずで、俺に半端な品物を貰っても喜びそうにない。
「趣味が悪いわね」
 なんて、口には出さずとも思われそうだし。
「せめて、一緒に存分に飲んでやるか」
 何を贈るかはともかく、それだけは思いついた。
 お兄ちゃんとしては誉められたことではないけど、最近では俺も少しは飲むようになっている。
「あ」
 ワインとグラスは用意して、コルク抜きを忘れて来たらしい。
 取りに戻りかけて、思い出して眼鏡を取ったら都合良く肩の辺りに線が見える。ポケットからナイフを取り出して、線を切った。
 グラスに中身を注ぎ、七夜を仕舞おうとして久しぶりに思う。俺の誕生日はいつなんだろうって。
 戸籍上の日付は判ってるけど、それは実際には四季のものだ。なら、七夜志貴の生まれは一体いつだったんだろう?
「これだけか、繋がりは」
 記憶の欠片にさえ無い父の遺したものは、殺し屋の家系らしく無骨な刃物だけ。いや、七夜家の形見というなら、身に染付いた体術と眼の方なのかもしれない。生家のあった場所ぐらい探してみたいと思ったこともあるけど、無理な話だ。手懸りも時間も、そんな体力も無い。
 宋玄の爺さんは色々と知っているみたいだけど、訊かないことに決めている。
「俺は『遠野志貴』だもんな、秋葉。乾杯!」
 ワインを口に含む。やっぱりこの渋味には俺は慣れない。それでも、これが秋葉の一番の気に入りだから、飲み込む。
「なあ、秋葉? 俺にとって、昨日と同じような今日が一番欲しい今日なんだ」
 こんなことを言った時の秋葉の返事は予想できる。
 ――そんな向上心の無いことでどうするんですか。
「ははは、でもね、秋葉。この弱った体だから、昨日と同じってのは幸せなんだ。生きているだけで楽しいと思い、目覚めないかもしれない翌朝を恐れはしなかったけど、今はお前が居るんだ。そんなじゃ、駄目だろう?」
 下手をしたら一年も持たないかも知れないと思っていたんだから。
 俺には、昨日と同じ今日が愛しいけど、秋葉は今日と違う明日が欲しいタイプなんだろうな。
 空になったグラスを再び満たす。斬られた壜を見て、さっきと同じことを考えた。
「よし、七夜志貴って子の誕生日はお前と一緒だったことにして、一緒に祝ってやろう!」
 口に出して、変に可笑しくなって笑った。
 さして強くも無いだろうに充分に喉を焼くアルコールを、飲み干して行く。
「なあ、秋葉。誕生日プレゼントに詩をあげるなんて言ったら、笑うかな?」
 素面じゃ言えそうに無いから、また呷る。
 秋葉のグラスが倒れて、慌てて畳を拭いた。

 秋葉と庭に出て、手を繋いで歩く。結局ワインを一壜空けてしまったから、鼓動がメタメタなら頭もフラフラ。でも、秋葉も情けないとは言わないで居てくれる。
 幼い頃、毎日のように歩き回っていた森だ。あの頃、秋葉は後から付いて来るばかりだったけど、今は隣どうし。ただ歩き回っているだけで楽しかったし、今一緒に歩けることが嬉しい。懐かしむように、何も言わない。
「『愛し合うとは見詰め合うことではなく、並んで同じ方向を見ることだ』なんて、知ってる?」
 格言集みたいのを読んでいたせいで、つい色々と言いたくなる。秋葉は返事をしないまま、俺と同じように梢や空を見上げている。想いを通わせるのに、言葉なんか要らない。
 木漏れ日の中をのんびりと進んで、広場に出た。九年前、俺が殺された場所。だけど、今さら何と思うのでもなかった。ただ、きっと当時のお気に入りの遊び場所だっただろうに、ここでどんな風に遊んでいたのか何も思い出せないのが哀しかった。
「座ろう」
 アルコールの周り具合が厳しくなってきているから、声をかけた。また日向ぼっこですか、なんて、たしなめられそうだと思いつつ。
 脚を投げ出して座り、一緒に遠い青空を眺める。事件の当時はともかく、もう俺には四季を恨むような気持ちは残っていない。九年前や、一年前の出来事ではなく、幸福だった子供の頃の仲間の居ないことが哀しいだけ。
「死よりも辛いという事は、確かにあるんです。死が救いになることだって」
 秋葉はそう言うけど、俺達は四季を救ってやれたんだろうか?
「やっぱり俺には、そうは思えないよ」
 死なせてしまったことではなく、一緒に誕生日を祝えないことが哀しい。
「秋葉、聴かせてあげたい詩があるんだ。笑わないで聴いてくれないかな」
 照れくさいから、そっぽを向いて言う。
 返事を待たず、きれいな秋葉の髪を撫でながら、詠った。

 

涙を捨てた日から、微笑みも無くしてしまっていた
痛みを隠した時、喜びも見失ってしまっていた
壊されたものがあまりに多くて
思い出すことさえ出来なかった
初めから何も手にしてはいなければ良かったのに
助けの手も拒んで、心を閉ざしかけていた

それでもあの頃、空を見上げることを忘れなかったのは
あなたが傍にいたから

あなたはただ、微笑んでくれたから

笑顔を取り戻せた日に、涙の意味がやっと判った
喜びを分け合えた時、痛みも受け入れられた
気づいたことが沢山あり過ぎて
区別もつかなくなった
たとえ本当は何も返って来てはいないのだとしても
肩を借りて、心を開き始めている

それなのに今、空を見上げてばかりいるのは
あなたが傍にいないから

あなたにただ、微笑んで欲しいから

 

 最後で、言葉を詰まらせてしまった。
「間抜けだ、あと一行が思い出せないや」
 秋葉の肩に手を掛ける。
「誕生日おめでとう、秋葉」
 こんな日々をいつまで続けられるんだろう。時折浮かぶその想いを振り払って笑う。
 首筋に口を寄せ、泣きそうになるほど綺麗な髪の一束を愛撫するように咥えた。秋葉は俺の手首を掴んで唇を押し当てる。
「ワイン、出来ればグラスを交わして飲みたかったね」
 もう、初めの頃は受け入れてくれた口移しさえ無理だから、こんな方法しかない。

 ガツ、って、いつもの感触があった。鮮血めいた朱い髪を再び噛んで、耐える。皮膚が切れる痛みなんて何でもない。
 後から抱き締められる格好で、秋葉は俺の腕から血を吸い始めている。赤黒く汚れた印象の雫が、ぽとり、ぽとりと伝い落ちる。思わず一緒に透明な液体を零しかけて、こらえた。
 いつもより長く飲んでいるから、笑って声を掛ける。
「美味しい? やっぱり酒飲みだな、秋葉は」
 もともと酒で朦朧としていた頭が、失血するにつけて更に胡乱になって行く。秋葉が満足したころ、意識が持たなくて後に倒れた。
 秋晴れの青空から降り注ぐ光が眩しく、耐えられず瞼を下ろす。
 みーん、なんて、蝉のなき声を聴いた気がした。本当は、とっくに季節は過ぎて、夜には鈴虫が鳴いている。真昼の今はとても静か。
 暗くなったから目を開けたら、秋葉が顔を覗き込んでいた。そのまま、俺に腕枕される格好で仰向けになる。
 ……秋葉、自分から動いた?
 だけど、もう限界。世界が暗くなる。

 

 

――――あなたと同じ空を、見上げていたいから――――


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プレゼントは、未来 ・了

 


 何やら天啓のように浮かんだお話でして、なんともまあ、秋葉の誕生日に書いたものでした。どうにも、秋葉ノーマルエンドは印象深いのです。