あやあやあや

秋月 修二 様


 座布団が見つからなかったので、鞄を放ると布団の上で足を伸ばした。スカートを穿いているので、畳の上に正座する気にはならなかった。脛に畳の跡がつくと、みっともないことになってしまう。
「ふむ」
 することも無いので、改めて部屋を見回す。どう見ても娯楽に欠ける部屋だ。文机には教科書が置いてあるくらいで、小説や漫画なんかの類はどこにも無い。音楽を聴けるような感じもしない。押し入れを開ければ何かあるのかもしれないが、流石にそこまで調べようとは思わなかった。
 やたらと無駄の無い、良く言えば機能的な部屋だ。ここで過ごしていて、退屈にならないんだろうか。
 和室らしいとは思うし、衛宮らしいとも思うのだが、反面何かそぐわない気もした。遠坂や藤村先生、間桐の顔が浮かぶ。アイツの周りは賑やかなイメージがあるのに、ここには賑わいが無い。
 この部屋は、何だか寂しい。
 この部屋で、アイツはいつも何をしているんだろう。
「どうした?」
 あれこれ視線を巡らせていたから、正面から戻ってきた衛宮に気付かなかった。不思議そうな顔でこちらを眺めている。その手には小さなお盆が乗っていて、微かに湯気が立っているのが解った。
 質問にぼんやりと応じる。
「――何にも無いなあ、って」
 思うところでもあったのか、衛宮は苦笑気味に腰を屈めると、淹れたてのコーヒーを勧めてくれた。一緒に出てきた皿には、小さなチョコレートが幾つか。
「別に悪い意味で言ってるんじゃないよ」
「解ってるよ。実際、ここには何も置いてないしな」
 そうして、衛宮は畳にそのまま座った。慌てて布団からどこうとしたが、いいよと手で制されてしまう。断るのも悪いので、甘えさせてもらうことにした。
 二人とも座ったことで、目線の高さは同じになった。まったりしたお茶会が始まる。まずはコーヒーを一口。
「ん、美味しい……コレ何?」
「ブルーマウンテン、らしい。粉だけもらったんで、実際どうかは知らないけどな」
 バイトで食費を稼いだりしているのに、ただの同級生にブルーマウンテンなんか出していいんだろうか。お客さんが来た時でもなければ、これも出番は無いのかもしれないが、何だか気が引けてしまう。
 チョコの値段は幾らなんだろうとか、余計なことを考える。こんなに丁寧にもてなされなくても良かったのだけど。
 気を使われているんだろうか。どうなんだろう。
 そう悩んでいると、衛宮がふと面を上げた。あたしの方をじっと見て、何故か首を傾げる。人の顔を見て首を傾げるとは、なかなか嫌なリアクションである。
「何、その反応は」
「いや、美綴がいつもと違うような気がするんだが……何が違うのかよく解らない」
「……随分な物言いだね、アンタも」
 多分化粧のことを言ってるんだろうが、衛宮といい遠坂といい、どうして人の化粧のことに拘るのか。しかも衛宮に至っては、何が違うか解らないだなんて、直球にも程があるってもの。
 流石にちょっとかちんと来た。
「別にあたしは変わってないよ。アンタまだ寝惚けてんじゃないの?」
「起きたのはいつもの時間だって。何怒ってんだよ」
「怒ってないよ」
「怒ってるだろ」
「それはそっちの気の所為」
 ぴしゃりと言い放つ。どこか不満げに、衛宮はコーヒーを一口啜った。八つ当たりかな、と思う反面、すっとしたりもする。
 しかし、当初の予定からどんどんずれているような気がする。
 引っ掛かりを解決するために来たのに、これだとまるでじゃれ合いに来たみたい。
 馬鹿なことになっている、そう自覚する。とにかく軌道を修正すべく、あたしは鞄を手繰り寄せようとした。電話の用件を、忘れないうちに済ませてしまおう。
 肘をついて布団に寝そべるようにして、さっき投げた鞄を探す。腰を捻って無理矢理手を伸ばすものの、適当に投げた所為でお目当ては遠くに転がっていた。
「ぶっ、げほっ」
「ん?」
 いきなり後ろで変な声。何かと振り向けば、衛宮がコーヒーで咽ていた。息が止まっているのか、顔が赤い。
「ちょ、大丈夫?」
「大丈夫ってオマエ、スカートでそれはないだろ……」
「ん?」
 衛宮の視線を辿る。辿って、はっとした。
 鞄を取ろうとして、結構大胆に脚を広げてしまっていた。今日あたしはスカートを穿いていた訳で、すると当然、衛宮からはスカートの中が思いっきり見えた訳で、その、あの、
「――こ、こらぁっ!」
 慌てて体を起こし、スカートの裾を直す。心臓がどくどく鳴って、顔が熱い。あたしがああいう体勢を取った時点で、どうなるかくらい予想出来るんだし、目を逸らしてくれてたっていいのに。
 くそ、凄い恥ずかしい。頭の中が滅茶苦茶になる。
 だから取り敢えず、衛宮の膝を蹴っ飛ばしておいた。
「待て! 俺の所為か!?」
「見るモンは見たんでしょ!?」
「不可抗力だろっ! それに、ちょっと前にもっと……」
 その先を言わせまいとして、蹴る、蹴る、蹴る。
 口封じとばかりに、蹴って蹴って蹴りまくる。
 どさくさに紛れて、何を言おうとしてるんだコイツはっ!
 恥ずかしさでも充分いっぱいいっぱいだったのに、変な汗のオマケまでついてくる。向こうの部屋にはまだ遠坂がいるんだから、間違っても口にしちゃいけないことがある。危機感が足りない。もし聞かれでもしたら、一体どうするつもりなのか。
「ちょっと待て、美綴、危ないって!」
 酷く慌てた声。でも聞いてやらない。照れ隠しなんかよりも先に、もっと大事なことを隠さないといけない。足を止めずに、衛宮を責め続ける。
「危ないって、危ないのはアンタの口――って、あ」
「うわっ!」
 次の瞬間目に映った光景に、あたしは思わず固まり、衛宮は悲鳴を上げた。
 勢いが余り過ぎて、爪先は衛宮の持っていたカップにぶつかってしまった。白いカップがぽーんと跳ねて、空中で傾いていく。ブルーマウンテンの雨が、やけにゆっくり落ちてくるように感じた。一粒一粒が段々こっちに近づいてきて、
 着弾。
「あつ、あつっ!」
「うおお、洒落にならんっ!」
 熱湯を体中に浴びて、あたし達は部屋の中を転がりまわる。何か拭くものは無いかと、頭のどこかが冷静に探している。倒れこんだ先で指先に柔らかい布が触れ、タオル発見と喜び勇んで引っ張ったら、手の中にあるのはずるずると予想以上に長いもので、これ布団だよと落胆しながら火傷の痛みに苦しんでいる。
 全然冷静じゃない。
 衛宮も衛宮で、身悶えしながら押し入れを開いたりしている。こっちと同じように何か探してるらしいが、押し入れには雑巾もタオルも入っていない。むしろ入ってる物の方が少ないくらいだった。
 ああもう、何が何だか、解らない。
 そうして二人で大騒ぎしていたら、廊下から慌しい足音が響いてきた。
「どうしたの!?」
 流石に悲鳴は聞こえたのか、襖が勢い良く左右に割れて、血相を変えた遠坂が飛び込んで来た。そしてこの惨状をどう捉えたのか、あんぐりと口を広げた。
「……何してんの? アンタ達」
 あたし達はみっともない様子で、畳の上に転がっている。部屋の真ん中には茶色い水溜りが出来ていて、同じ色で斑に染まっている二人が喚いていれば、他人には馬鹿げたコントみたいに見えるのかもしれない。
「と、遠坂、ナイスタイミング。タオル取ってきてくれっ」
「わ、解ったわ」
 助けを求める衛宮に一瞥をくれて、遠坂は走り去っていく。瞳には微妙な色が浮かんでいたが、こっちはそれどころじゃない。
 ひりひりするのを我慢して、どうにか体を起こす。そこでふと、この部屋で寝起きしてるんだから、ティッシュくらいあったっておかしくないと気付いた。
 目だけで探す。枕もとにあった。
 ……何だか位置関係がリアルで、手を出しかねる。そうとは限らないんだけども。
「ああもう。……って、ティッシュあったじゃないか。美綴、それ取ってくれ」
「え、あ、うん。解った」
 言われて我に返る。
 さっきカップを蹴り飛ばしたばかりだったから、投げたりするのは躊躇われた。まだ無事な方のカップに気をつけて、おずおずとティッシュを渡す。けれど、衛宮は何枚かを手早く抜き取って、そのままこっちに箱を戻した。
「何してんだよ、ほら。美綴」
 こっちの反応が遅れたからか、衛宮はこちらに身を乗り出してくる。手に持ったティッシュが、あたしの髪の毛にそっと触れた。
 いきなりで、どきっとする。
 意識しているのかしていないのか、少し荒っぽく、でも丁寧にコーヒーを拭いてくれる。前髪から垂れ落ちる褐色が、白い紙に吸われていく。それを黙って受け入れているだけで、とても心が安らぐ。
 少し視線を上げれば、あの時が目の前に――
「タオル持ってきた、けど」
 硬直した。
 呆れたような半眼が、こちらを向いている。視線はどちらかというと衛宮を刺しているようだが、バツが悪くてあたしもいまいち反応が出来ない。
「と、遠坂、ナイスタイミング」
「それはさっき士郎から聞いたわよ。……まあいいけど、時間無いしわたしもう行くからね。ちゃんと掃除とかしときなさいよ」
 タオルだけじゃなくて、雑巾もきっちり持ってきている辺りが遠坂らしい。態度からして誤解はしてないようだが、あんまり快く思っている訳でもないだろう。
「サンキュ、遠坂。雨降るような話あったから、傘持ってった方がいいぞ」
「そう? んじゃ借りてくわ。ちゃんと体拭きなさいよ、綾子。掃除はコイツにさせていいから」
「ああ、解ったよ」
 タオルと雑巾を置くと、そのままひらひらと手を振って、遠坂は部屋を出て行った。去り際の一瞥は少し硬い気がして、体をぎくしゃくさせる。
 勘繰られている、のかな。想像したら薄ら寒かった。
 姿が消えるのを見届けたら、一気に溜息が出てきた。本当なら大したことじゃないのに、立場が立場だから後ろめたい。
 衛宮はタオルと雑巾を引き寄せると、改めてあたしの髪を拭き始めた。遠坂の顔が脳裏に浮かび上がる。今追求されたら誤魔化せなさそうで、それが怖くて混乱している。振りほどけばいいのに、振りほどけない。
「いいよ、衛宮。自分でやれるってば」
「良くない。火傷の確認もしなくちゃいけないし、女の子なんだから、ちゃんと綺麗にしなきゃ」
 呼吸が止まる。無意識に言ったんだろうけど、その言葉はあたしの深い所に沁みていった。ますます身動き出来なくなる。
 こんなの、いけないのに。
 されるがままになる。布の端っこが耳元を掠めて、首をくすぐる。
「んっ」
「ん?」
 身を捩ったので、衛宮が訝しげにこちらを窺う。タオルが頬にかかったので、メイクのことを思い出した。
「やっぱり、自分でやる」
 今更こんな状態で飾っても仕方が無いのだけど、ムラのある顔は自分で想像しても嫌な感じがした。衛宮にしてもらって悪い気はしないにせよ、なるべく被害は少ない方がいい。
 顔にタオルを当てて、雫を拭き取る。なるべくメイクが伸びないように、ついでに火傷を刺激しないように。
 あたしがタオルを使っているので、衛宮は自分の体をティッシュで始末している。
「そういやさ」
 ふと作業の手を止めて、衛宮がこちらに向き直る。
「ん? どうかした?」
「その服、拙いんじゃないのか」
「拙いって……」
 言われて上着を見ると、コーヒーで斑模様が出来ていた。因みにスカートも同様。今日に限って着ている服の色は淡い。
 イコール、早く洗濯しないといけない。
「うわわわっ」
 慌てて上着を脱いだ。薄い青に褐色の水玉模様なんてのは、外に出たら目立つこと請け合いである。ステキすぎるセンスだ。
「洗濯するか?」
「……ゴメン、お願い出来る?」
「俺のも一緒にやらなくちゃいけないし、いいよ。でもスカートどうするんだ?」
 思わず唸った。上はシャツがまだガードしているものの、流石にスカートを重ね穿きしている訳ではない。でもこのスカートで外に出るなら、家までは誰にも見られないように隠密行動確定。
 ……それは嫌だ。
 でもここでスカートを脱ぐってことは、ある意味自殺行為な訳で。
 物凄いジレンマにはまる。色んな人に恥ずかしい姿を見てもらうことを選ぶか、衛宮に恥ずかしい姿を見られることになるか。どっちにしろ恥はかく。
 ろくでもない二択に崩れそうになる。
 それでも悩みに悩んで、
「スカートもお願いします……」
 と半泣きで頼んだ。
「そんな顔せんでも。一応着替えあったはずだし、取ってくるよ」
「あ、流石は衛宮。主婦してるねっ」
 誉めたつもりなのだが、衛宮は変な顔で一旦席を外した。気にしてるのだろうか。
 少しして、足音が戻ってくる。再び顔を見せた衛宮は、釈然としない顔をしていた。
「……ほとんど洗濯待ちだった。しかも俺の持ってるので、美綴が穿けそうなのってこれしか無かった」
 手にはハーフパンツが握られている。妥当と言えば妥当なラインだ。
「あらら。こっちは構わないけど」
「いやな、後で気付いたんだけどさ。ウエストが違いすぎるだろ、流石に」
 忘れていたけど、確かにそうだ。
 衛宮が持っているのは、腰の部分に紐が通っているヤツだった。確かにあれならあたしでも穿けるだろう。ただ、選択としては悪くないものの、衛宮が自分の分にしようと抱えている方に対して、少し疑問を持ったりもする。
「ふむ。……んで、そっちのが長いのはどういうこと?」
「長い代わりに、こっちには紐がついてない。あと薄い」
 なるほど。
 まあ、隠したい所は隠せる訳だし、あんまり贅沢を言ってる場合でもない。
 取り敢えずハーフパンツを受け取る。予想よりも薄い気がしたけど、衛宮はこれより薄いものを穿くらしい。風邪引かなきゃいいんだけど。
「着替え終わったら、洗濯するものこっちに投げてくれ」
「……ん、解った」
 衛宮が部屋を出て行く。所在無いが、このままでいても仕方が無いので、言われた通りにする。中を覗かれる心配は無いだろうけど、一応布団に包まってスカートを脱いだ。男友達の家で下着姿になるなんて、何か変な気持ち。
「っ、つう」
 スカートが咎めるように火傷と擦れて、痛みが走った。それでもどうにか着替えを終える。廊下で待っている衛宮に、腕だけ出して服を渡した。
「変なことしないように」
「いや、しないけど」
 けど?
 追求する前に、衛宮はいなくなっていた。行動が早い。
「ふう……」
 溜息をつく。災難な日だ。
 半分お揃いの格好になるなんて、随分とレアなシチュエーションだ。しかも、ハーフパンツなんて際どい格好を見せなきゃいけない。
 ……別にさっきと露出度変わんないし、ハーフパンツは意識しすぎか。変なことになってる所為で、ちょっと頭がこんがらがっているのかもしれない。
 少しして廊下から、何度目かの足音が聞こえてくる。さっきから忙しないことだが、ともあれ衛宮が帰ってきた。
「やれやれ」
「おかえり」
 ハーフパンツにTシャツという、ラフな格好。家にいる時なら、男はこんな感じで普通に過ごしているものだ。まあ、知ってるのは弟くらいのものだけど。
 衛宮とまともに向かい合っても、そこまで心臓が騒いだりはしなかった。意識しすぎだと気付いてしまえば、こんなものだろう。この調子ならいつも通りでいられる。
「なんか疲れたね」
「ああ、まあな。チョコは無事だし、糖分でも摂るか……」
「ん……って、無事だったんだ」
 あれだけどたばたしていたのに、よく引っくり返らなかったものだ。軽く驚きつつ、勧められたお菓子をほおばる。甘くて美味しい。
「んー、幸せ」
「ようやく落ち着けるな」
「元はといえば、アンタが人の下着見るからいけないんだけどね」
「おまっ、あれは事故だろ!」
 たとえ事故でも、事実は変わらないのだ。まあ口にこそ出さないものの、仕方が無いのも解っているが。
 チョコを齧る。甘味と苦味が、疲れた体に心地良い。最初気兼ねしていたのが馬鹿みたいに、次のチョコへと手が伸びる。食べてみて解ったが、見た目は同じでも中身は違うらしい。さっきのはストロベリーで、今のはブルーベリーだった。飽きさせない。
「このチョコってどこの?」
「これ? ちょっと前に藤ねえが食いたいって暴れてな。作った」
「相変わらず、こういう細(こま)いの得意だねえ」
 うん、いい仕事してる。プロ顔負けだ。
 舌鼓を打ちつつ、姿勢を崩して楽な格好を取る。衛宮の方も、胡座をかいてリラックスしている。
 妙と言えば妙だが、緩やかな時間が流れていく。さっきまでの反動かもしれない。火傷もそう酷くはないようなので、割と気が抜けている。
 だいぶ落ち着いたし、この流れなら来た理由を言える……かな。
「なあ、衛宮」
「ん?」
 手探りで言葉を探す。中途半端な緊張と弛緩。我ながら唐突だとは感じつつ、浮かんだ言葉を切り出していく。
「なーんかね。すっきりしないことがあるのよ」
「何だいきなり。悩み事か?」
 眉を跳ね上げて、衛宮が問う。悩み事かと訊かれれば、確かにそうだ。強いて問題とするなら、アンタがそれを言っちゃあ、ってことだけど。まあ、コイツがこういうヤツだってのは前から解ってるし、そこが気に入ってるとも言えるんだろう。
 少し姿勢を変えて、相手を眺める。もう少し踏み込むとしよう。
「まあね。で、すっきりしないのはなんでかなー、と最近考えてる訳よ」
「ふむ」
「そんで色々考えた挙句、アンタのとこに来たと」
 今まで大人しく聞いていた衛宮が、途端に首を傾げる。
「ちょっと待った。別に良い悪いじゃないんだけど、何で俺? 普通だったら仲良い女子とかに普通行かないか? まあ、女子じゃダメな話なのかもしれないけどさ」
「そういうこと……なような、違うような」
 周りに相談するような中身ではない、というのもあるけれど、実際にはもっと単純な理由がある。衛宮がまさに当事者だからだ。
 本腰を入れようと、体を前に倒す。相手もそれに反応するように、体を丸める。
 ――まだ肝心なことは言っていないのに、衛宮が妙にそわそわしているのは、予感みたいなものなのだろうか。
「ともあれ、簡単に言うと」
「簡単に言うと?」
 どこか居心地が悪そうな反復。先を勘付かれているのか、それとも他に何かあるのか。根が素直な人間なだけあって、反応は解りやすかった。
 でも、ここで躊躇って話を切る訳にもいかない。
 なのにどうしてか、体は勝手に間を置いてしまった。
「……ん?」
「続きは?」
「いや、ちょっと待って」
 おかしい。さっきまではどうということもなかったのに、ここに来て違和感を覚えている。どこが原因かを探してしまう。衛宮に向けた視線が、わざとらしく外される。
 真面目にやろうとしてるから、場が固くなるのは解る。解るんだけど、何か妙だ。
「どうかした?」
「……いや、何でもない」
 心なしか赤い顔で否定される。変だと思いつつも、続けようとして気付いた。喉の奥の方で、取っておいた声が引っ掛かって止まる。
 正直、気付かなければ良かった。
「えーと、衛宮クン」
「はい、何でしょう先生」
 遣り取りが胡散臭いことこの上ない。
「何で?」
「何でというのは?」
「その――下の方が何でそうなってるのか、って訊いてるんだけ、ど……」
 そう。何がどうしてそうなったのか、まるっきり見当もつかないのだけど、衛宮の下腹部は大きくなっていた。さっきからどうも不穏な動きをしているとは思ったが、薄手の布では隠し切れていなかった。
 いきなりの展開に赤面し、目を逸らす。衛宮も体をずらして、こちらから見えないようにしていた。それでも背を向けたりせず、ちゃんと顔を突き合わせて話が出来るようにしていたのは、一応評価しておいた方がいいんだろうか。
 一応隠されたようなので、視線を戻す。我知らず声が尖る。
「アンタね……人の話真面目に聞いてた?」
「いや、真面目は真面目だったんだが、ままならないものが」
「自分の体でしょうが、早いとこ静めなさいよ!」
「頭で考えてどうこうなるものじゃないんだよっ! 何もなくたってこうなる時はなっちゃうんだから!」
 でも、前に用具箱の中でああなったのは密着してたからだし、またエッチなことでも考えてたんじゃないだろうか。どうもそこらは油断出来ないと知ってしまったので、怪しく思えてしまう。
 そこまで考えて、ふと唾を飲み込む。その場合、対象はあたし――ってことになるんじゃないのか。それだったら、どうしたらいいんだろう。
「ね、ねえ、衛宮」
「何だよ」
「……怒らないから、何考えてたか言ってみてよ」
 急に黙りこくる。何も疚しいところが無いのなら、話を聞いてるうちに反応してしまった、と言えば済むはずなのに。良からぬことを考えてたんだろうか、と邪推が働き、気恥ずかしさも混じりだす。本筋から離れてしまったけど、こんな状況で話を続けることも出来ないし、どうしたらいいんだろうか。
「言えないんだ?」
「言えないことは無い、んだが……言っていいのかなあとか色々とその、何だ、困ってる」
「言っちゃって良いってば。さっきみたいに蹴ったりしないし」
 本当にそのつもりは無い。個人的に、衛宮が何を考えたらああなっちゃうのか、というのは気になるし。
 もっと催促したい気になるが、かなり悩んでいるようなので、まとまるまで待つ。
「んー、あー、うー」
「唸ったって解決しないよ。さっさと言って、すっきりしちゃいなさいな」
「でもなあ……いや、ええと。怒るなよ?」
「怒らないって。男らしくないなあ」
 何でここまで躊躇うんだろう。ああ、いやまあ、恥ずかしいのは確かだけど、それなら訊いてるこっちだって充分恥ずかしい訳だし、顔は絶対赤くなってるだろうし。ここは痛み分けということにしておきたい。
「その、さ」
 しばらくしてようやく、重い口が開かれる。真面目に耳を傾ける。
「今の美綴見てたら、色々思い出してしまったと言いますか」
「へ?」
「いや、下着の件もあったし、今も太股とかこう、目の前にある訳で。んで、いつにも増して俺には女の子らしく感じられたりとか、ある訳でして……」
 衛宮はまだ決まり悪そうに呟いているが、後半はなかなか耳に入ってこなかった。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。
 性欲を抱かれている、ということを嫌に感じた訳じゃない。ただそう、単純に驚いてしまった。自分がそういう目で見られているなんて、思いもしなかったから。
 男とは対等な付き合いが多かった。逆に取れば、性別なんて関係無い付き合いでもある。ちゃんと女として扱ってほしくもあったけれど、対等な立場というのもまた、同じくらい心地良いものがある。
 こうしてみると、女であることを望んでいるクセに、女であることを忘れている方が――あたしにとっては気楽だったんだろう。でも、あたしは自分であることからも、女であることからも逃げられない。
 そんなだったから、こうして女だってことを突きつけられると、とても困ってしまう。衛宮はあたしのこと、女だ女だって何度も言ってたけど。
 嬉しいと思う自分がいて、歯止めをかけている自分がいる。
 何かが、緩みかかっている。
 あたしにそんな魅力があったか? そんなことは知らない。でも、知らないだけなのかもしれない?
 まさか。
 混乱している。巧く言葉が形に出来ない。
 衛宮は――あたしみたいなのでも、コーフンする?
「……ちょっと待ってくれ美綴、色々思うのは解るが畳を毟るな」
「あ、ゴメン」
 手が勝手に先走っていた。ちぐはぐでままならない。しかし、それくらい一大事なのだ。今のは探していた答えに近い気がする。でも、今までより近くなっただけ、解らなくもなったし苛々も募った。
 惜しい所まで来ている。だから考える。考える考える考えろ、
「んーんんん……解るかぁー!」
 ぶっちゃけた声に、衛宮が身を引かせる。あたしは気にせずに距離を詰める。
「大体にして、何であたしがここまで悩むことになってんのよ!」
「急にキれるな! いやまあ、勃ったのは俺が悪いけど、何がどうしたんだよオマエは」
 文句を言おうとして、巧いのが浮かばなかったので、取り敢えず頭を掴んで振った。前後に思いっきり。がくがくと揺さぶられて、衛宮が途切れた呻きを上げる。
「酔う、酔うから止めて美綴さーん!」
「人が! アンタのことで悩んでるってのに! どうしてそう逆効果なことばっかり!」
「無茶苦茶だー!」
 衛宮に当たりながら、どさくさに紛れて本音を口にしてしまったな、と思い至る。気付かれるとますます癪なことになりそうだったので、勢いを強めてやる。
 なのに。
「おおおお、ちょっとタイムっ」
「やだ」
「やだじゃなくて――っと!」
 やだって言ったのに、衛宮は無理矢理にあたしの手を引き剥がした。さっきまで押さえられていたところを撫でながら、訝しがる目でこちらを見詰める。経験上、こういう目をしている時の衛宮は、ロクなことを言わない。
「俺のこと?」
「え、何が」
「オマエがさっき言ったんだろ。俺のことで悩んでるって、どういうことだよ?」
 うわ、やっぱり来たよ。誤魔化せてないし。
 出来る限りぼかしながら、穏便に進めるつもりだったのに。尋ねられて素直に答えられることなら、わざわざこういうやり方はしなかったのに。どうしてこう、衛宮は人の都合の悪いタイミングに限って鋭いんだろう。
 どうにか矛先を変えようと、頭を働かせる。
「――ところで」
「それは強引すぎるだろう、幾らなんでも」
 流石に自分でもそう思ったけれど、それ以外に何も浮かばなかったのだから仕方が無い。今考えていることを、そのまま話すだけの勇気は……無い。
 躊躇っていると、衛宮は大きく息をついた。
「人に白状させておいて、そっちはだんまりってのはフェアじゃないんじゃないか? それに、オマエが悩んでるのが俺のことだって言うんなら、尚更だろ。ただでさえオマエは面倒見良いのに、自分の面倒は見ないヤツなんだからな」
 面倒を見てやってるなんてつもりはない、ただの性分だ。まして、自分を蔑ろにした覚えもない。だから、自覚なんてものも無い。でも、そう心配されるくらいには、衛宮はあたしのことを気にしていたのだろうか。
「……桜からは何も聞いてないけど、部活で何かあったとか?」
「そうじゃないけど……」
 何かあったら、戻ってきてくれる? 昔と同じ時間を共有出来る?
 そうだったら良い。でも、今話すべきなのは違うことだ。
 少し落ち着いてくる。元々あたしは、誤魔化すなんてことが得意なタイプじゃない。でもそれ以上に、こちらに向かってくる衛宮は、真っ直ぐすぎて避けられない。
 話を聞いているうちに、覚悟が決まってきた。多分、お互いにちゃんと向き合うことが必要なのだろう。最初から間違えていた。勢いだけで、会っただけで解決なんて、するはずがなかったんだ。
「言っても、いいんだけどね」
「お?」
「……一応訊いておくけど、今ここにいるのってあたし達だけ?」
 遠坂が何かの拍子に戻ってくるとか、そうじゃなくても誰かがいきなり押しかけてくるとか、そういうのは困る。あのことに触れなくちゃいけないのだから、誰かに話を聞かれたらマズイことになる。
「藤ねえは学校だし、桜は今日は来るのは夕食時だろうな。遠坂はさっき出て行ったばっかりだってのは、そっちも確認済みだろ? 当分は誰も来ないんじゃないかな」
 お誂え向きな状況。随分なタイミングもあったものだが、だったらまあ、突っ込んだ話も出来るか。逃げられなくなっているのなら、後は進めばいいのだし。
 深呼吸をする。一つ、二つ。充分に間を取って、自分なりの準備を済ませる。
 さあ、話そう。向かい合おう。
 こんなチャンスは、逃せないんだから。

 

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